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Ning Ning

Author:Ning Ning
中国北部に6年、日本関東に14年、
アメリカ西部に4年、現在日本関西に
住む24歳社会人。

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カラオケ屋への不満


Blue-October-blue-october-178233_1280_960cut4.jpg


You never doubted my warped opinions on things like suicidal hate.
You made me compliment myself when it was way too hard to take.
So I'll drive so fucking far away that I'll never cross your mind.
And do whatever it takes in your heart to leave me behind.

"Hate me" Blue October

「君は自虐的な悪意という僕のイカれた持論を疑いもしなかった。
それにつけあがって、僕は自画自賛を始め出す始末だ。
僕は車に飛び乗って、君の届かない遠くへと突っ走る。
君が僕の事を切り捨てるためだったら何だってするさ。」



アメリカにいた頃にラジオで「Into the Ocean」と「Hate me」(共に『Foiled』に収録)を聴いて、大いに気に入ったBlue Octoberというバンドの曲を、日本でカラオケに入るたびにくまなく探すのだが、見つけたためしがない。

カラオケの曲を誰が追加しているのかは知らないが、メジャーなバンドのマイナーな曲は入っているくせに、マイナーなバンドのメジャーな曲(だってラジオで流れてたもん!)を入れないとは、それでも音楽を愛する人間だろうか?

なんて、大人の事情を無視した文句を言ってみる。Blue Octoberを歌わせろー!!







カントリーロード

カントリー・ロード
この道 ふるさとへ続いても
僕は 行かないさ 
行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード


今日は頼まれごとの用事があって、会社を出た後に久し振りに鈴鹿へ出かけた。そこには大きなショッピングモールがあって、各種の専門店も多いのでだいたいの物は揃う。ジャスコで用事を果たし、通りかかった酒屋の店先で変わったリキュール(緑茶入りの玉露梅酒やシナモン入りの八橋梅酒!)を買い込んだ後、雑貨屋に入った。

その雑貨屋には本のコーナーもあって、個性的な雑誌や写真集、「聖☆おにいさん」やオノナツメ作品といったセンス抜群の漫画を取り揃えている。私はそこに一度行くとなかなか出られないのだ。今日も何時間も立ち読みしてしまい、仕事帰りのまま行ったのでヒールを履いていた足と腰と腕が痛くて、それでも面白すぎて立ち読みを止められないという葛藤に陥っていた。ちなみに、読んでいたのは「浅田家」という写真集と、廃墟の写真集と、「死ななくてすむ人間関係の作り方」。

その時、バックにはジブリの名曲をレゲエ風にアレンジしたCDが流れていた。(やっと本題に入れた…。前置きが長いといつも言われる。)10曲ぐらいのCDがリピートで流れていたのだが、冒頭に歌詞を書いた「カントリーロード」を6回か7回は聞いた。どんだけいたんだよ!

私はこの曲が大好きで、今日も聞きながら「日本語の歌詞もいいなあ」としみじみ思っていたが、毎回カントリーロードがかかると「これを聞いたら帰ろう」と思い、帰らなきゃ帰らなきゃと思いつつも読んでしまって、気付くとまたカントリーロードがかかっているのである。まさに、「帰りたい 帰れない カントリーロード」だった。



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オリジナル曲の作者 ジョン・デンバー






さとりのしょ

ゲームにはちょっと疎いのだが、「さとりのしょ」というのがあるらしい。それは悟りを開くための書物で、これを持っていると賢者に転職できるらしい。しかも消耗品。えー、賢者って転職するもんなの!?


peeping_life.jpg

なんでこんなことを言い出したかというと、シュールギャグCGミニアニメ「Peeping Life」のエンディング曲がdetune.の「さとりのしょ」で、この曲がちょっと気に入ったから。


「残念でした 君はまだ修行が足りない
なら さとりのしょを 
手に取ってゆくんだ 僕はやがて
土にやってゆくのさ 何も見えない
でも生きてくんだ 誰かのためにと 言い続けて
呆れられながらゆく 待っててね」


微妙に明るいんだけど、どこか気だるい感じのメロディと歌詞が好き。そして本編の「Peeping Life」もまた味のある作品で、基本的には2人の登場人物の掛け合いのみ。おでん缶の自動販売機の前で延々と喋っているオタクの青年とか、合コンに全く同じ服を着て行ってしまった先輩と後輩の女子トイレでの会話とか、超くだらないことでデートに行かないとゴネだす彼女とそれを懸命になだめる彼氏とか。


日常そのものが物語であるってやつだな。





雨の夜には読書を



「ともあれ、何も疑わずに自信に満ちた人間と云うのは実に苦手だ。
それは私の対極にいる人達だからだ。」

京極夏彦 『塗仏の宴〜宴の支度〜』 274ページ



私がブログを書かなくなる時期。最近に限って言えば、それは何かの本を読み出した時だと分かった。前回一ヶ月以上放置した時は、漫画版『風の谷のナウシカ』全巻を来る日も来る日も読んでいた時で、ここ一週間以上書いていなかったのは、京極夏彦を読み始めたからだろう。時間がある時にパソコンへと伸びる手が、本の方に伸びてしまうかららしい。

冒頭は、一応主人公の一人である関口巽の台詞。私は最初の『姑獲鳥の夏』を読んだ時から関口のうじうじっぷりが嫌いで、シリーズを追うごとに彼の出番が減っていくことはまったく気にならなかった。今回も「ふーん、出てきたんだ」ぐらいにしか思っていなかったが、今度はなぜか関口の台詞がすんなりと入ってくるし、たまには賛意まで感じてしまう。これがどういう心境の変化なのかは分からない。



「酷く殴られて、目が眩んだ。
ふ――と、意識が飛んでどうでもよくなる。
考えないことは何て楽なことなんだろう。
私と云うものは考えるから在るのか。私が考えなければ私は罔(な)いと云うのか。ならば考えている私と云うのは何処に在るのか。その私こそが――。
私から逃げて行ったのだろう。」







無駄そのもの

銀魂アニメ 第99話 「人生もゲームもバグだらけ」
なりゆきでギャルゲー勝負に挑む、真撰組局長・近藤と攘夷志士・桂(マリオに変装中)。


近藤:
「あらゆるギャルげーをやり尽くしてきた俺には、新しいゲームだろうが、どの選択肢を選べば女の子の高感度が上がるか、デートに最適な場所はどこか、何となく読めてしまう」

沖田:
「それを三次元でも生かせればねえ…」

近藤:
「俺のコントローラさばきには一部の無駄もないぞ。お前達に付いて来れるかな…?」

桂:
「ふはははは!一分の無駄もないとは笑わせる。恋愛それそのものが無駄からできていることを知らんか!

近藤:
「だ、誰だ!?」

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桂:
「無駄に胸をざわめかせ、無駄に不安になり、無駄にあがき、無駄に終わっていく。だが、それが無駄なことだったと誰が言えようか。いいや、その無駄にこそ人生のすべてがつまっている!!」 





銀魂っていいこと言うんですよ。






サーベルタイガー

サーベルタイガーって本当にいたんだ!
という、Biology Majorにあるまじき驚きを覚えたので書こう。

私がサーベルタイガーというものを知ったのは、「なにしろこれから戦争ですので」という台詞で有名な『皇国の守護者』の漫画版からだった。ばかでかい白黒の縦縞のシベリアン・タイガーにものすごい長い牙を生やしたような姿で、「剣牙虎」と書いて「サーベルタイガー」と読ませる。戦争用に訓練された剣牙虎とそれを操る兵士で組織されたのが剣虎兵部隊で、主人公の新城直衛中尉が相棒の剣牙虎の千早と戦場を駆け抜けるのが本作のストーリー。

余談:この作品は小説を漫画化したものだったが、原作者と漫画家の協力関係がうまくいかず、単行本5冊を刊行しただけで「諸事情により終了」となった。話が面白かったので残念。

20071101200625.jpg

…That’s ファンタジーではなくて何だろう??
剣牙虎はかっこよかったが、実在するわけないと思った。


しかし、本当にいたんですなぁ。(京極堂の益田風に)


Smilodon.jpg

800px-Smilodon01.jpg

サーベルタイガー(剣歯虎):漸新世後期から更新世にかけて栄えたネコ科の食肉獣の総称。肩高は1m〜1.2m。上顎犬歯が独自に発達して20センチに及ぶ短刀状の牙となり、大型動物を専門に狩るための武器として使用された。巨大な犬歯は雌による性選択によって進化したものだが、これは一種の過適応であり、これが原因で環境へ適応が出来なくなりやがて絶滅したと考えられる。(Wiki)


思えば、人間のイマジネーションには必ず原型があり、ゼロから生まれるわけではない。そういう視点で、フィクションのネタの元ネタを探したら面白そうだ。



Where the story ends


武奈ヶ岳山頂
13日(土)は、滋賀県の比良山(釈迦岳・1060m、武奈ヶ岳・1214m)に登った。写真は武奈ヶ岳の山頂まであと少しというところ。雲なのか霧なのか、一面真っ白な世界へと突っ込んでいく。少し前を行く他の人たちがほとんど見えない。「人間は昼と夜の間をさまよい歩く幽鬼にすぎぬ」と言ったのはシェークスピアだったか。


お地蔵様たち
山頂のお地蔵様たち。比良山はかつて仏教寺院の栄えた山だったらしい。織田信長の時代に焼き払われ、その残骸が遺跡として残る。


パソコンに向かう
現在の様子。日曜日の夜はサザエさん症候群気味。同期の友達に借りたThe FrayのCDをかけながら、昨日の山登りのことでもブログに書くかとパソコンの前に腰を下ろす。青い缶はジュースです。(←ウソつけ)


The Fray "Where the story ends"

All we know is distance
We’re close and then we run
Kiss away the difference
I know you hate this one
But this is where the story ends
Or have we just begun
To kiss away the difference
I know you hate this one

僕らの間にあるのは距離だけ
僕らは近付いてはまた逃げる
そんなのはキスでごまかしてしまおう
君がそれを嫌いなのは知っているけど

でもこれが物語の終わりだよ
それともこれは始まりなのかな
そんなのはキスでごまかしてしまおう
君がそれを嫌いなのは知っているけど





アツいこと

この前、美空ひばりの晩年を描いたドキュメンタリー番組をやっていて、少しだけ見た。日本の歌謡史に不滅の輝きを残すビッグネームであるのは聞き知っているが、当然ながらとても“自分の世代の人”ではないので、そんなに詳しくは知らない。

そのドキュメンタリーの中で、車の移動に耐えられない健康状態だったのをヘリコプターでコンサート会場に移動して20曲のステージを歌いきり、闘病生活の中でも歌うことへの情熱を失わなかった彼女の姿が描かれ、彼女はステージで「歌い続けたい/この命果てる日まで」というような歌詞の歌を歌っていた。

その姿に重なったのがQUEENのフレディ・マーキュリーで、同じような歌うことへの情熱と、エイズに倒れた彼の悲痛な叫びである「Show must go on」の曲名が思い浮かんだ。

美空ひばりもフレディも、歴史に名を残すほど文句なしにアツい人たちだった。しかし、彼らの姿が教えてくれるのは、アツいのは苦しいことでもあるというものだ。アツくなれるものがないと嘆く人がいるが、その苦しさに耐える覚悟を持った上で言っているのだろうか。「なんとなく」ではカッコいい生き方はできない。…ちなみに自分は、最初からそんな覚悟などない。





赤いウクレレ

コンポとCDと漫画とウクレレ

最近、新たな趣味を始めました。先々月に出席した高校の友人の結婚式で頂いたカタログギフトから私が選んだのは、小さな赤いウクレレ。初の弦楽器への挑戦である。


四弦のネックは握るには細く

弦楽器(ストリングス)は、複数の弦を同時に弾いて音を出す。これがまず新鮮だった。小学校の時にピアノをやっていたが、ピアノはドの鍵盤を押すとドの音が、レを押したらレの音が出る。しかし、弦楽器は和音を奏でる。「C」というコードがあったら、第一弦の第三区を押さえて、左側の弦から「ソ・低いド・ミ・高いド」の組み合わせを爪弾いてポロロンと奏でるわけだ。

最初の調弦から「??」だった。“まずは第一弦から第四弦までを「A・E・C・G」に合わせて下さい”なんて言われたって、なんのこっちゃである。同期の友人に楽器をやっている人がいて、「A・E・C・G」とは「ラ・ミ・ド・ソ」であると教えてくれた。ドライバーで上のつまみを固定するネジを締め、その友人のエレクトーンを拝借してやっと各弦の音を合わせることができた。

それからネットでウクレレのコード表を探して、暇を見つけてはポロロ〜ンと弾き、基本的なCとFとG7のコードで、ハッピー・バースディ、アルプス一万尺、ホタルの光、きよしこのよるなどを弾けるようになった。そのうちに爪でジャカジャカ弾くことも覚えて、ちょっとギターっぽくかっこつけながら、Jason Mrazの「I'm Yours」、The Frayの「You Found Me」、Maroon 5の
「Sunday Morning」などに挑戦している。

古代からあらゆる文明で無数のバリエーションの弦楽器が存在し、その人々の民族性をも表す音色を奏でて来た。実際に弦楽器をいじってみると、その理由がよく分かる気がする。シンプルな構造、多彩な音域、豊かな音色。いやぁ、弦楽器っていいですねえ。




外人という呼び方

うわー。また広告出ちゃったよ…。
最近どうも「書くぜー」っていう気概に欠けていていかん。



さて、私は「外人」または「ガイジン」という呼び方が好きじゃありません。そりゃー自分がそれに相当するという自意識が多少あるからという理由もあるのでしょうが、どうも気になってしまうのです。

私がそれが気になるのは、”「外人」との表記は(中略)、元来はよそ者、関係のない第三者を意味したもの(Wikipedia)”という定義のせいかとも思うが、この言葉を特に気にせずに使っている人を見ると、そんなに気にするものでもないのかなと思ったりする。

例えば、私の愛するB’zの「スイマーよ!」という曲には、『街ゆく恋人や外人を/気の済むまでうらやんだら』という一節がある。最初に聞いた時は結構ショックで、「イナバさん、ひどい!」と思ったりもした。まぁ人間のコミュニケーションとは双方の誤解と思い込みで成り立っているという説を私は強く支持するのだが、相手の意図は誤解なりにも分かるものだ。イナバさんが悪意を持ってこの言葉を使っているわけではないことは分かった。

身近な知り合いでも、「外人」または「ガイジン」という言葉を特に意識せずに使う人が多い。同期の友人も「ガイジンの友達が言ってたんだけどさー」と気軽に使うし、職場の先輩も「うちのチビらが将来はガイジンと結婚したいなんてぬかしよるねん」と笑いながら言う。

きっと、それでいいのだ。私はむしろ、「外人」という言葉が何も意識されずに使われることを喜ぶべきなのかも知れない。言葉に意味付けをするのは人間だ。だったら、自分で聞いていていちいち傷付く意味付けをするより、気にしないでいられる意味付けをした方がいい。





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