なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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Docomo P502i
2007-05-30 Wed 23:07
それが、中学以来使っていた携帯電話だった。そのパール・ホワイトの機体を、私がアメリカに行ってからは親が去年まで使い続け、合わせて10年近く使っていた事になる。パカパカじゃないし、白黒画面だし、着信音なんて今や化石に近い3和音だ。使いすぎて下半分の接合部分が割れ、一時期はテープで補強していた。

それでも、明日から契約を復活させればまだ使えるし、もし日本でまた携帯を持つなら私はむしろコイツを使い続けたいくらいだ。いかんなぁ、そんな骨董屋みたいに古いものに愛着を持ってしょうがないから、いつまで経ってもオシャレなものが持てないのだよ。(京極堂口調)

余談だが、この携帯は5曲しか着信の曲を保存できなかった。色々ダウンロードしてその内容は変わり続け、以下の5曲に落ち着いた。小田和正「言葉にできない」、Cocco「樹海の糸」、天空のエスカフローネOP「約束はいらない」、ふしぎ遊戯ED「ときめきの導火線」、そして坂本龍一「戦場のメリークリスマス」。5曲中2曲がアニメソングかいっ。

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日本であります
2007-05-29 Tue 01:55
丸二年ぶりに日本に戻った。梅雨だからジメジメしていて暑いだろうと軽く熱帯雨林のような体感気温を想像して半袖の服ばかり持って来たのに、機内アナウンスでは「気温は16度」、降り立ってみると普通に寒い。なんてこった。

私が日本行きの飛行機にしばらく乗らないうちに、どの座席にも個々のテレビがつくという変化があったようだ。映画のチャンネルで「硫黄島からの手紙」をやっていたので、姿勢を正してしっかり観た。というか、最初から観ようとチラ見ばかりしていた結果、後半部分のみを4回も観るはめに。最後の場面、渡辺謙演じる栗林中将が倒れたまま荒波の硫黄島の海を見渡して「ここは、まだニッポンか…?」と尋ね、側の兵士が「…はいッ、ニッポンであります!」と答えるくだりを4回観て、同じ回数だけ泣いたのでした。

日本に着いてからは高速バスの中で爆睡していたせいもあって、起きてから、目に映る駅前の街並みをまるで夢の中みたいだなと思いながら眺めていた。駅前英語屋の看板、牛丼屋のカウンター、八百屋の店先、携帯を手に歩く女子高生、茶髪で猫背の男、くたびれたサラリーマン。特に若い女性に対しては、(リノでなら見ただけですぐにわかる)日本人らしい服装をした人間がどうしてこんなに沢山歩いているんだ?とぼんやり思っていた。明らかに寝ぼけている。

そんな夢から醒めたのは、町田の図書館を通りかかった時だった。数秒遅れてから、閃くようにして遊び慣れた町田駅周辺の地理が脳裏によみがえり、本当にこの場所にまた戻って来たんだと実感した。ちょこちょこ変わっているようだけど、あのでかいブックオフがあればオッケーだ。

このブログを読んでくれた日本にいるキミ!ぜひ私と遊んでくれ!!

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悟ってなーい
2007-05-26 Sat 03:48
とにかく難しい言葉でとにかく分厚い本を書く京極夏彦氏。
その中でもダントツの分厚さを誇る京極堂シリーズ第四弾、『鉄鼠の檻』。
堂々1359ページの文庫版を、意地のように頑張って読破した。
コミックス一冊読むのに一時間かかる私の快挙をまずは称えてくれ。
うー、目がしょぼしょぼする。

さて、この禅寺を舞台にした殺人事件のミステリーを読んでの一番の収穫は、禅について、宗教について、悟りについて少しながら知ったことである。こういう膨大なウンチクが好きな人じゃなければ京極夏彦の本には手を出せんな。

主題が宗教なだけに、書評を探すとその筋の人からは「何も分かってない俗人のくせに分かったような事を書きやがって」という批判があったが、ならアンタは分かっているのかと言いたい。信仰に真偽などない。分かっているかどうかは本人が一番よく分かっている。宗教の教義を形式化させ、特権化させて大衆から切り離したら、その宗教の真意は滅ぶ。どうせ私は俗人なんだから、禅籍じゃなくて、自分と共通言語のある俗人の書いたものが読みたいんだよ。

禅とは何か。
禅は言葉を拒み、言葉で伝えられないゆえに説明できない。よって禅は仏教の中でも難しい。

宗教とは何か。
絶対的個人認識である神秘体験を、何らかの説明体系を使って共有できるものにすること。だから、宗教にはそのための道具である言葉が必要となる。

悟りとは何か。
禅でいう悟りとは、修行によってもたらされる神秘体験を受け流し、それを凌駕した日常のこと。

座禅をしていて宇宙の声を聞いた、というのは神秘体験。それは脳内麻薬による生理現象にすぎない。それを悟りだと勘違いするのが魔境。それを受け流せるようになるために更に修行をする。それでも悟りはゴールではなく、悟った後の修行が大事なのだそうだ。これは、悟りどころか単なる神秘体験を喧伝して人を集めたオウム真理教の対極にあたる。

以上はすべて京極夏彦氏の本から得た知識だ。俗人だろうが何だろうが、単なる訳のわからんモノだった禅や悟りを、少しでも分かりやすく伝えた筆者の努力を称えたい。

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音楽と生
2007-05-25 Fri 03:42
小説家と哲学者には自殺と発狂死が多いと言う。生きている間中考えすぎて、“果て”に行き着いてしまうからだろう。それと同じ仕組みかどうか知らないが、音楽をやる人間にもその傾向はある。特に今では、その匂いをほのめかす曲も多い。それは退廃的という一つの芸術的エッセンスだとも言えるが、それで音楽を作った人間も聞いた人間もそれに影響されてしまうのか。

先日、知り合いとニルヴァーナの話をしていた。カート・コベインがショットガン自殺をしたのは1994年だった。月並みなコメントだが、「偏執的なリフの繰り返し」や「静かに重いローと病んだハイ」が頭に焼きつく曲だった。しかし今なお忘れ去られない音楽を生み出した。今でも時折ラジオにかかる。カートの歌詞はひどく退廃的で、死の匂いが強い。

この前CDを買ったBlue Octoberの「Into The Ocean」も、「Into the ocean, end it all」と繰り返される。バイオリンや胡弓などのストリングスが奏でる柔らかで明るい曲だが、「さあご飯を食べに行こう」と言うぐらいの自然な調子で「さあ早くすべてを終わらせてよう」と「僕」へ海に向かう。"その匂い"は、今や音楽の一部分だと思った。

ニルヴァーナの音楽を体現するようにショットガンで自分の頭を撃ち抜いたカートは、徹底的に自分に嘘をつくことをせずに生きたと言うべきかも知れない。しかし、その匂いに音楽や文学で酔って楽しむのはいいが、自分のためにも周りのためにも、実際にはそうならないのが一番だ。


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あるダイエット広告
2007-05-23 Wed 10:46
メール画面の上とかによく出るダイエットなどの広告。
そのあおり文にはこんな文章が。

“「もっとヤセてたらかわいいのに…」といわれた。”

これはえぐいやり方だ。
かわいいという言葉の持つ魔力と、その魔力に縛られ続ける女性の、その心の柔らかい所をピンポイントで突付くようないやらしさ。どれだけ世の女性が苦心しても、満ち足りさせることをせず、それをエサにし続ける美容やダイエット業界の狡猾さ。見ていて腹が立ってきた。

だったら男性にも、「もっと背が高かったらかっこいいのに」といわれた、なんて同じ宣伝文句を使って、関節を脱臼させて体を引き伸ばす中世の拷問器具でも売りつけてみろって感じだ。

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売れるならパクれ!
2007-05-13 Sun 07:34
北京の郊外にある石景山遊楽園。私は行ったこともないし、あったのも知らなかったが、最近それがよくニュースになる。五月の連休に、その遊園地がディズニーランド激似のアトラクション(シンデレラ城とかミッキーとかお姫様と7人の小人とか)を出して大人気を博した。

博しすぎて、日本でニュースになり、ついにディズニーに訴えられた。「積極的な模倣ではない」と遊園地側は言うが、入り口ゲートに「ディズニーは遠すぎる、石景山遊楽園にいらっしゃい!」という垂れ幕を掲げていたぐらいだから、確実に確信犯である。しかも模倣したミッキーたちが微妙に可愛くない…。

通報を受けた中国の版権局は「政府は事態を非常に重視している」としたが、通報したディズニーも国民も「ウソつけやお前」と思っているに違いない。だいたい、石景山遊楽園は国営なのだ。

いかに中国でコピーライトというものが無視されているかを如実に表す出来事だが、実際本当に版権という意識が低い。映画のDVDを自家コピーして普通に道端や店で売っているし、WindowsのOSとソフトを10個ぐらい入れたCD-ROMが千円以下で手に入る。中国に来た外国人でさえ「安く買える」とほくほくなのだ。

だいたい、日本でコナンが30巻までしか出ていなかった時に、中国に帰ったら35巻まで出ていた。サンデー本誌も読んでいた私はびっくりした。よく見ると、明らかに青山先生の書いたコナンじゃないのが混じっている。アシさんの書いたものがシリーズに入っているだけだと言うが、そこらへんの人が書いたのが混じりこんでいてもわかるまい。

セーラームーンが売れるとなれば、普通のおばちゃんがTシャツにセーラームーンらしき絵を描いて売っていても「十分に有り得る」わけだ。もし本当に政府が頑張って取り締まっているとしても、「何がいかんの?」と思う庶民の感覚が改善される日はすごく遠そうだ。

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ペニー事件
2007-05-11 Fri 19:06
ペニーこと1セント硬貨の印象といえば、バスに乗る時に使えない、使い道が少ない割にはすぐにたまる、道によく落ちているけど拾わない、幸運のペニーのお土産を各地で見かける、リンカーンの肖像が渋い、などなど。友達にお金を返す時、小銭が大量にあったら「えー」という顔をされる。25セントをペニーで払う奴がいたらそれはもう嫌がらせだろう。

ニューヨークのブロンクスであったペニー事件は、それだけじゃ済まなかったようだ。
中華料理店で唐揚げを買おうとした人が「ペニー10枚はダメ」と拒否された。その人が怒ってその事を州議会の議員に訴えると、その議員は「合法的通貨の受け取りを拒否してはならない」という州法案作成に取り掛かった。違反すると、500ドル以下の罰金か30日以内の禁固を科される。最近は大量のペニーの受け取りを嫌がる店が増えていて、「小銭の受け取りの拒否は貧しい者の排除につながる」として、それに罰則を設けるという事だそうだ。当の中華料理店は「そんなに強く拒否したつもりじゃ…」と困惑気味らしい。

考えすぎかも知れないけど、拒否したのが中華料理店だったからか、「アメリカで商売するならアメリカの通貨を受け取れ」という議員の発言に「お前達はよそ者だ」というような嫌なニュアンスも感じ取れる気がした。

そういう店が増えているというのなら、この「ある人が小銭しか持っていなくて唐揚げが買えなかった」という今回の事件は、アメリカ社会にずっと溜まっている貧富の差や人種問題などの不満がきっかけを得て噴出した形か。

しかし言っちゃ何だが、中華料理屋の店員がお高くとまれるほどの金持ち層だとは思わない。
今回の事件の波紋を見て、拒否した当の店員が一番「どうしよう」と思っているかも知れない。



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しつこいフィットネス
2007-05-05 Sat 07:07
フィットネス(Fitness)と言うとレオタードを着たおねえさんが運動しているイメージだけど、生物学ではそれは「その生き物がどれだけ健康に生きてどれだけ子孫を残したか」を測る物差しのことだ。フィットネスが高い個体ほど成功してるのであって、すべての生き物はより高いフィットネスを目指して進化している、らしい。

そもそも生物の授業を聞いていると、事あるごとに「Reproductive success」=「生殖的成功」とゆーのが出てくる。それはもう禅問答における「鯉魚」の一言のごとく、すべての動物の行動はこの一つの原理で説明できると言っても過言ではないぐらいだ。

今学期は鳥類学をやっているので鳥の例で言うと、ウロコから羽に進化したのも、鳥が飛ぶのも、鮮やかな羽も、鳥が鳴くのも、一夫多妻制なのも、逆に一妻多夫制なのも、他人の巣に卵を産んでその巣の雛を殺すのも、一夫一婦制なのに実はお互いこっそり他で交尾をするのも、全部とにかく「Reproductive success」のためだという。

これを自分に当てはめると、不思議な思いがする。「とにかく早くたくさん子供を生まなきゃ。できるだけ多く自分の遺伝子を残さなきゃ。じゃなきゃ生きている意味がないわ!」なんて私は思ったことがない。人間の世界において、そういう時に使われる言い回しはむしろ「独り身だと年を取ったら寂しいよ」などで、「あなたの生殖的成功がなくてもいいの!?」なんて言わない。

これは人間が少々変質してしまったのか、それとも生物学者が何でもかんでも「Reproductive success」で説明しすぎなのか…。

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落ちたー
2007-05-04 Fri 12:05
ついに落ちたよ、馬から。

今学期取っている、中級の乗馬のクラス。やっとトロット(タッタッタッというスキップ)をこなせるようになって、次はカンター(パカラッパカラッという走り)に挑戦した。私はクラスの中でも下手くそで、皆はもう出来ている。

乗っていた馬は、Tigeressという名前のとびきり身体の大きい雌馬だった。歩幅が大きいせいか、歩くのも速いし走るのも速い。おまけに走りたがり屋で、前にいる馬をことごとく追い抜かそうとする。手綱を引いてもなかなかスピードを緩めなかった事から、すでに気を付けるべきだったのかもしれない。

落ちたのは、カンターをしている時だった。トロット以上に激しい上下の揺れにバランスを崩し、パニックになってたてがみを掴んだせいで手綱を引いて馬を止める事が出来ず、加速するばかりの馬の上でひたすら怖かった。落ちた瞬間の事は覚えていない。気が付くと土まみれで地面に転がっていた。背中を打って、すぐには息が出来なかった。先生は笑っていたが、こっちはとても笑うどころじゃないっす…。

落馬の結果、あごと肘とかかとを打って腫らしている。喧嘩をした不良みたいな顔だ。「あごが(腫れて)立派になってアメリカ人みたい」と言ってルームメートを笑わせた。少し時間が経ってからは、着地で打った背中と首が痛くなってきた。それでも、鐙に足が引っ掛かってひきずられたり、前に落ちて踏まれたりしていなくて良かった。そうなっていたらと想像するのさえ恐ろしい。

下手くそだからいつかやりそうだとは思っていたけど、本当にそうなったよ。来週あと一回クラスがあるけど、もうカンターはやりたくない。馬は可愛くて好きだけど、落馬は死ぬほど怖かったです。

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| 紅炉一点雪 |
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