なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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就職ブルー
2007-11-30 Fri 05:01
少し前に内定受諾の連絡をして、数ヶ月の就職活動を終えた。卒業後にする事がどうにか決まってほっとし、少しわくわくさえした。しかし昨日、制服のサイズを尋ねる連絡を受けて、一気にブルーになった。

これじゃまるで高校生じゃないか…。
そうか、アメリカを離れて、私は高校時代と同じあの日本に戻るのか。
日本で就職するとはそういう事だったのか。

別に制服があるからブルーになったのではない。今いる場所の居心地の良さと、それがもうすぐ変わってしまう事をようやく心から実感して愕然したのだ。これから行こうとする場所と居慣れた場所との差に怖れさえ抱いた。今まで自分はあまり深く考えずに就職活動をしていたらしい。その結果が具体的に何を意味するのか想像していなかったらしい。

でも、いつまでも同じ場所に同じステージに留まれないのは自明の理だ。大学を卒業しようとしているのだから、次のステージに進まねばならぬ。何をするにしたって変化は避けられないのだ。私は間違った選択をしたわけではないと思う。

ただ、今の生活が終わる事がショックで、いきなりそれを実感したものだからびっくりしただけだ。そんな事を考えていたらもうバイトに行く時間で、いつもの化学棟の階段を登りながら思った。
「大丈夫、私はまだここにいる。もう少し今の生活はある。二階に着けばダンがいて、ラボの皆がいる。私の日常はまだここにある。」

心の準備なき変化への直面はつらいものだ。
残りの時間で、その準備をせねば。

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からくりサーカス完結
2007-11-29 Thu 15:22
中学校から数年間、毎週水曜日に少年サンデーを買って読んでいた。最初はコナンが読みたくて買い始めたのだが、その時にリアルタイムで読んでいたのが藤田和日郎氏の「からくりサーカス」だった。サンデー誌上で作品が完結したのは去年だが、半徹夜で読み終えた昨晩が私にとって作品が完結した瞬間である。

「からくりサーカス」はとんでもなくエネルギーのある作品だった。まず絵からして線が濃く、サンデーで一番の劇画である。作者自身が「紙が破れそうな力で、描くというよりも刻んでいます」と言っている。前作の「うしおととら」は未読だが、からサーは登場人物が多くて物語のプロットがこれでもかと複雑に入り組んでいる一大長編だ。そんな物語の最終幕がアツくないわけがない。たくさんの登場人物がそれぞれの舞台を果たして退場していく。どのドラマにも少年漫画的な熱い思いが充満している。この年になってもまだ漫画に没頭して涙を流せる私がすごいのか。いや、どんな年の読者をも感動に引きずり込む作者がすごいのだろう。

連載9年、単行本43巻。もう大きくなった私は、ただ物語に対してだけじゃなくて、物語の完結に際しての作者の「描ききった!」という喜びと充足感をも感じて余計に感動した。物語の閉幕の際にカーテンコールに現れた全キャラクターたちは見開き4ページ以上にも及んだ。作中では死闘を繰り広げたキャラクターたちも、「観客の皆様、我々の演目をお楽しみ頂けたでしょうか?」とばかりに笑顔でつないだ手を高くあげている。これは一つのとても大きなサーカスの舞台だったのだ。

中学校の時から読んできた作品の堂々の完結は私も感慨深い。大好きなギイは最後まで格好良かった。一つの大きな仕事をやり遂げた藤田さんに拍手喝采を送りたい。

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局長を語る
2007-11-24 Sat 18:18
「燃えよ剣」の話の続き…。

とまあ、前の記事では土方がどうのと書いたが、この本で私を泣かせたのはむしろ局長近藤勇の方だった。司馬氏による近藤の描写はこんなものだ。「謀略には富まないが、無言実行、行動力の人。根が単純で、人を信じやすく、おだてられるのに弱い。思い込みに近いような自分の理屈による信念を頑なに守る。時勢に乗ると実力以上の力を出す。」土方は自分におべっかを使ってくる人間を徹底的に疑って最後は斬ったが、近藤は素直に喜んだ。

鳥羽伏見の敗戦の後に江戸に戻った新撰組残党は、甲州の地を守るべく甲陽鎮撫隊となる。既に消滅した幕府によって譜代大名並の身分を与えられ、甲州百万石を押さえたら半分の五十万石をくれてやると言われて舞い上がる近藤。さっそく相好をくずして土方にこう話す。
「それぞれの石高をおれは考えてみた。おれは十万石、歳には五万石をくれてやる。総司には三万石。永倉、原田、斉藤ら副長助勤にも三万石。大石ら監察には一万石、島田ら伍長連中には五千石、平隊士にも均等に千石やる」

これこそ取らぬ狸の皮算用なのだが、それにしてもなんと無邪気な人か。幕府が瓦解して徳川家が逃げて、薩長軍が京から関東にまで攻め上って来ているというのに、まだ甲州百万石を信じてその分配まで考えているのだ。その哀れなくらいの無邪気さに泣けてしまった。

甲陽鎮撫隊は甲州で官軍に惨敗し、再起を図って流山に集結した時に近藤は投降を決意する。「よすんだ、まだ奥州がある。時勢など問題ではない。男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ」と怒号する土方に対して、近藤は静かに「賊名を残したくない。おれは大義名分に服することに美しさを感ずるのさ」と言って決別する。

色々な意味で、自分は土方よりも近藤の方にずっと似ていると思った。それが、世間の土方への人気にやたら食ってかかる原因か。

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幕末気分
2007-11-21 Wed 16:45
最近、幕末ものを続けて読んだ。
司馬遼太郎「燃えよ剣」上・下と星亮一「会津藩燃ゆ~戊辰の残照」。

「燃えよ剣」については、周囲になぜか多かった新撰組ファンの友人らに口を揃えて薦められたのだが、当時はこんな九百ページ近くもある長編なんて無理だよオイと思った。しかし千数百ページの京極夏彦のレンガ本を読んだ後では恐れるに足らずで、ようやく読んだのだ。人間の判断とは相対的なものである。

同じく司馬さんの「新撰組血風録」はずっと前から読んでいたが、あれは人物ごとの短編なので、幕末の時系列の流れをあまり把握していなかった。だいたい出来事が入り組んでいるし、人物も多くて誰がどっちの陣営かを覚えるのに一苦労だ。今までは薩長同盟から薩摩と長州はひたすら革命派だと思っていたが、八月十八日の政変や禁門の変の時点では会津と薩摩が友藩だったと知ってびっくりした。

「燃えよ剣」では土方歳三のこれでもかと男の美学を体現した生き様を描いているが、多分に司馬さんのフィクションが交えられている事は否めない。土方といえば、フランス軍服姿で撮った有名な写真がある。私だったらその写真を口絵に入れただろうが、司馬さんはそうしなかった。司馬さんの描く土方は現実に生きた土方と必ずしも同じではない、また同じではない所にこそ司馬さんの筆は本領を発揮する。そういうメッセージなのかもしれない。

史実は事実でなければならないが、前にも書いたように事実とは一つに限らない。司馬さんはこの場合、史実に託して彼が土方の生涯から見たロマンを小説に描き出した。だから、そこにフィクションが混じっていても問題はない。薩長土にとって土方は同志の仇、明治の人にとって土方は反革命の悪党。しかし、司馬さんには土方が一つの男の鑑に見えて、小説にそう書いた。今日、土方は“誠を貫いた最後の武士”という評価を得ている。その偶像化には、司馬さんの小説に負うところが大きい。

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ボストンの週末
2007-11-16 Fri 10:18
ボストンキャリアフォーラムが終わった。
会場では、もう就職してスタッフで来ている友人、他のNICの友人知人、小学校からの知り合い、LAのフォーラムで知り合った人など、いろいろな人に会えて楽しかった。

一日目の夕方、ハプニングがあった。どこからかボヤが出て火災警報が鳴ったのだ。最初は放っておいたのだが、やがて薄っすらと煙や匂いが漂ってきた。あちこちで面接が中断され、強制避難となってスーツの黒い人並みが会場を埋め尽くした。

近隣のホテルやホステルはフォーラム参加者で一杯になった。私が相部屋になったウエストバージニアから来ていた人が実はUNRの知り合いの友人で、世間は狭いと言い合った。ホステルの布団が薄くて寒かったらどうしようと心配していたが、ボストンの建物には旧式だが強力な暖房が標準装備されていて大丈夫だった。

最も大変だったのは帰りだった。航空会社がチケットを席数以上に売り、結果として飛行機に乗れなかったのだ。私よりかなり遅くに同じ便を取った友人はチェックインの時にちゃんと席をもらったのに、一緒に私がチェックインをした時は席の欄が空白だった。一体どうやってそれに“当たって”しまったのかわからない。

出発直前になっても来ない人がいたら乗れるというので、それに望みをかけた。まだ来ていない人が2人いた。通常はとっくにゲートが閉まる出発10分前になっても待っていたら、なんと彼らが来てしまった。私の絶望のまなざしにも気づかず、「おお、間に合ってよかった。待ってもらってすまないね」とゲートに入って行った。普通ならこんなに遅く来た2人は確実に乗れなかったはずだ。彼らが来なかったら乗れるかもしれないからと待っていたのに、皮肉すぎる。一時間以上も早くから来てゲートで待っていたのに結局飛行機に乗れなかった私はくやしくて泣けてきた。

そうして、翌日の飛行機まで待つ羽目になった。航空会社が金を出してヒルトンに一泊したが、折角のいいホテルだったのに気分が落ち込んで全く楽しめなかった。修行が足りないなと思った。

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「絡新婦の理」読了
2007-11-08 Thu 17:19
また読んでしまった、京極夏彦氏のレンガ本。(←厚くてレンガのような形の本のこと。)「絡新婦の理」(じょろうぐものことわり)、京極堂シリーズ第五弾である。

今までに読んだ五冊を好きな順に並べるなら、
①魍魎の匣
②絡新婦の理
③鉄鼠の檻
④姑獲鳥の夏
⑤狂骨の夢
といった感じだろうか。
ちなみに読んだ順番は、姑獲鳥→鉄鼠→魍魎→狂骨→絡新婦。
シリーズものなんだから発行順に読めば良かったのにそうしなかったのだ。

この「絡新婦の理」はなかなか面白かった。今度の思想的モチーフは「フェミニズム運動/近代化に伴う民俗学的な女性の立場の変化」といったところ。近代化と貨幣経済が女性から神性を奪い娼婦に堕したのだそうだ。しかし日本はやっぱり夜這いの国なのねー。

文庫で堂々1374ページだが、それでも飽きないのがすごい。今回は、本来最後に来るべき数十ページの種明かしを冒頭に持って来るという手法が取られたが、1374ページも読んだ後に冒頭の内容なんて覚えちゃいないので、きっと誰もが読み終えてすぐに最初に戻ったに違いない。

中でも呉美由紀の元に祖父の仁吉が訪れる場面が好きだった。世界が崩壊しそうなほどの波乱に揉まれている美由紀を見て、仁吉じいちゃんは孫娘に力強い言葉をかけて彼女の精神を立て直すのだが、あそこは京極堂シリーズで一番の泣ける場面じゃないだろうか。この美由紀というのが芯の強い少女で、そのキャラクターへの好感が作品の評価を上げたといえる。

それから本作のもう一つの特徴は、いつもは語り部役の関口がほとんど登場しなかったことだ。当初、京極堂と関口はホームズとワトソンのような役回りだったのだが、私はこの鬱病の小説家・関口がどうも好きになれなかった。躁病の榎木津はまだたまにしっかりとした事を言ってすかっとさせてくれるが、鬱病の関口はいつでもウジウジとしているだけで埒が明かないのだ。だから、ひどい言い様だが彼が最後にちょろっとしか出てこない今回の話は気持ち良く読めた。

「話が面白かったー」と共に「こんな本を読んだ自分がすげー」という満足感を与えてくれ、かつページの数だけ濃い内容が詰まっている京極さんの本でした。

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そりゃ「以外」ですけど
2007-11-02 Fri 03:46
昨日のことである。

ボストンキャリアフォーラムでエントリーを出していた企業の一つからこんな返事が来た。

「弊社では日本人以外の方の採用は見送る方針でおります。ご理解頂きたく宜しくお願い申し上げます。今後ますますのご健勝、ご発展をお祈り申し上げます。」

「左様で御座いましたか。それは存じ上げませんで誠に失礼致しました。」……なんて売り言葉に買い言葉な返信はもちろんしていない。

言われて改めて思い出すような事実でも、言われるとショックなものである。前までは「貴殿の貴意に添いかねる結果となりました」などという回りくどい言い方は文字数の無駄だと思っていたが、逆にこうして露骨に説明されても嫌なものだと思った。「貴殿の貴意」とか文法的に問題がありそうな文章の方がまだマシかもしれない。

そして、アピールポイントというのは選考の材料に差し出すという事であり、それが是の理由にも非の理由にもなり得るのだなと改めて思った。いい勉強になった。と、思う事にする。

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