なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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帝国軍人の反戦
2008-02-28 Thu 08:36
今日も教習所では二回乗って二回みきわめ「不良」をもらい、もはやオーバーしすぎて全ての欄が埋まってしまったので新しい紙をもらうという面白い事が起きたが、もうそれはいいや…。

昨日のNHK「その時歴史が動いた」で“軍服を脱いだジャーナリスト”として取り上げられた人物が水野広徳だった。1875年(明治8年)に愛媛県松山市に生まれ、1905年に海軍大尉として日露戦争の日本海海戦に従軍、水雷艇長として活躍した。その後、ロシアのバルチック艦隊を退けたこの海戦を克明に描写した『此一戦』を出版し、大ベストセラーになる。この時はまだ軍拡主義を支持し、「小国の富は大国の餌となる。強大な軍隊を持つ強国になるべきだ」と書いている。

しかし水野は1916年に第一次世界大戦後のヨーロッパを視察し、民をすべて巻き込み国を焦土と化した近代戦の結果に愕然とする。その際、肉轢き機と称された激戦地ヴェルダンにも訪れている。ヴェルダンでは、史上初めて領地の奪取ではなく相手国の人員物資の損耗を目的とした「消耗戦」が戦われ、ただ死ぬためにフランス・ドイツ双方で25万人以上が死んだ。水野は書く。「20世紀における科学文明の精粋を集めて満4年の間、破壊と殺戮とをほしいままにしたる戦いの跡は、見るも悲惨、聞くも悲哀、まことに言語の外である。村落は壊滅し、住民は離散し、家畜は死滅し、満目これ荒涼、惨として生物を見ない。」彼は軍人のあり方に悩み、180度考えを変えて非戦・平和論を掲げるようになる。

帰国後、海軍大佐だった水野は剣を解き軍服を脱いだ。「いかに戦いに勝つかではなく、いかに戦いを避けるかが軍人の本責である。」「国民を守るべき軍隊が戦争によって国民に犠牲を強いるのは間違いだ。」評論家となった水野は、日露戦争の勝利によって自信をつけて世界の“一等国”にならんと軍備増強を進めていた軍部に真っ向から反対を唱えた。1924年の時点で日米開戦を予測し、そうなれば日本の敗北以外にないから戦ってはならないと主張する。「海上より飛来する100機の飛行機が一夜にして東京全市を灰燼に帰すであろう」とまで予言した。

しかし軍部の力が強まり言論統制が敷かれると、水野の発行する本は次々と発行禁止処分となり、彼の近辺を常に憲兵がうろつくようになる。講演をすれば暴徒が乱入し、発表の場を失っていった。1941年には軍部の執筆禁止者リストに載り、完全に活動を封じられる。それでも水野が憲兵によって暗殺されることがなかったのは、彼が日本海海戦で活躍した元海軍大佐だったからか。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」にあるように、それほど憲兵にマークされた人間が生き残れる確率がそう高かったとは思えない。終戦の年の秋、水野は愛媛県の病院で死去。享年71歳。「百年後の知己を待つ」と書き残した、悲劇の予言者だった。

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夕日が目にしみる
2008-02-27 Wed 06:57
人って張り詰めていた緊張が切れるとダメだ。しかもそれが不成功な結果によって切れると、涙腺の堰まで一緒に切れる。えぐえぐしながら家路に着く23歳であった。

ここ一週間、私はとても精力的に教習所に通っていた。もともと全部予約されていた短期集中コースだったが、最低時限数で組まれたそのスケジュールをあっさりオーバーしたので、取ってもらった予約以外にも乗れる日はキャンセル待ちをして教習を受けていた。仮免まではマニュアル車の技能教習は最低15時限で、つまり優秀な人はその15時限で22項目をクリアする。しかし私は、根を詰めて20時限もやってやっと全項目をハンコで埋めたばかりだった。

今日は2時間待ってキャンセル待ちで乗り、仮免検定前のみきわめ「良好」を狙った。今日通れば明日検定を受け、明後日には第二段階(路上教習)に進めるからだ。しかし、結果は「不良」。教官には「君は明るくていいねえ。女の子はこうじゃなくちゃ。一緒に乗ってても嫌な気分にならないよ」とやたらにほめられたが、結局みきわめを通らなかったのだからそんな甘い言葉は無意味だ。むしろ、教官と愛想良く話していないでもっと集中して運転するんだった…。

別にただみきわめを通らなかったから泣けてきたわけじゃない。明日の検定に間に合わないということは、次の検定は週末になる。週末は役所が閉まっているから、たとえ検定に受かっても仮免許証の発行は週明けまで待たねばならない。つまり、今日みきわめに通るか明日通るかの一日の違いで、次の段階に進めるのが一週間近く遅れるのだ。今まで一日でも早くと急いできたのに、その努力がすべてぶち壊しだ。もちろん、しっかり出来るようにならなければ「路上に出られます」という仮免許証をもらっても意味がないのだから練習を続けるしかないのだが、今まで少しでも急ごうと根を詰めていたのは何だったのだろうと涙が出てきた。

(心の中で森山直太朗登場)
さくら さくら ただ舞い落ちる~
永久にさんざめく光を浴びて~

ちくしょう、毎日この事ばかりに気張っているのになんで上手くいかないんだ。

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新古書店
2008-02-26 Tue 07:07
新古書店なんて遠まわしな言い方は、要はブックオフを指しているらしい。私がその言い方を見かけたのは、多くの著名な漫画家が連名して載せた「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」の意見広告だった。「新古書店は新書の売上が著しく落とし、そして売買される本からは作者への印税が全く入らない。私たちは新古書店に反対します。漫画界、ひいては出版界の将来のためにも、新古書店で本を売ったり買ったりしないで下さい。」そんな旨だった。

ヤングキング・アワーズ連載の「コミックマスターJ」には、こういう話があった。Aは解体業作業員で、取り壊される家に放置された大量の本を集めて、やがてそれを一律の値段で売り始める。きれいな店舗、マニュアル化されたサービス、わかりやすく決められた売り買いの値段。Aの商売は順調に拡大していき、やがて日本全国に展開する。そこへAの元同級生で漫画家をやっているBが登場し、そんな商売をするAを憎む。作者の収入を減らし、自分が生み出したのでもないものでぼろ儲けをするのが許せない。しかしAは言い放つ。「自分は合法な商売をしているし、本が売れてほしければもっと面白いものを描けばいいんだ。」

これらを読んで新古書店と出版界の穏やかならぬ関係を知るまでは、それについて考えたこともなかった。同じ本が半額や100円などで手に入るなんて夢のような話だったし、自由に立ち読みできるというのは魅力的である。しかし、考えなきゃいけないのかもしれないと最近は思うようになった。ある人がこう言っていた。「漫画はお菓子やジュースなどの消耗品とは違う。創作物からお金が得られなかったら、作者は創作を続けることができないのだ。私は音楽や漫画のない将来はいやだから、音楽の違法コピーや新古書店で本を買うことはしない。」

私はといえば、好きな作品を生み出してくれた作者さんたちを支えたいという思いと、安く買えるのなら安い方がいいという俗な考えの間でうろうろしているのが現状である。

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「そして岩は祟り神になった」
2008-02-22 Fri 23:37
人から薦められていた京極夏彦の「嗤う伊右衛門」を読んだ。こんなに哀しい話があろうかという結末に、久し振りに本で泣いた。

岩とは、怪談話の女王“崩れた顔の怨霊”お岩さんだ。この本は京極夏彦によって再構築された四谷怪談である。(でも実は、途中まで私はお岩さんと皿を数えるお菊さんを混同していて、いつになったら井戸から出てきて皿を数えるのだろうかとアホなことを考えていた。)

実はこの本、途中でつらくて一度読むのをやめた。正しく慎ましく生きている人たちが、奸悪で卑劣な人間によって不幸になっていくという展開が予想されたからだ。それでも何とか読み続けると、その予想をはるかに上回る惨劇が起きるのだが。

岩は病で顔が二目と見られぬほど醜く崩れた。それに対しての周囲の同情と陰口。しかし本人は気高くて強い。「岩はそれまでも己の容姿の美しさを鼻にかけたことなどなかったし、今とても己の醜きを恥じてなどいない。ただいつも堂堂と、分相応に振舞っているつもりである。それなのに―」世間は彼女をわらうのだ。彼女が毅然とすればするほど裏で嘲笑した。

それでも岩は挫けない。「どうあれ岩は、自分は間違っていないと結論した。世間におもねり、世間の顔色を窺って要領よく生きられない自分は不器用だとも思うが、それでも間違っていることはあるまい。間違っていない以上、悪いのは世間の方である。」眩しいほどの強さだ。

伊右衛門はお岩の家に婿入りした浪人。無口で、無欲で、礼節正しい。「容貌など、何の障りにもならぬと存じます」と言った言葉の通り、岩の清廉なる性質を見抜き、彼女を愛する。

二人は好き合っているのに、不器用ゆえにすれ違う。そのすれ違いに他人の悪意や欲望が入り込んで、小さな亀裂はやがて開かれた地獄の蓋となってすべての人を飲み込む。

京極さんにしては極薄の374ページ(文庫)なので、お試しあれ。

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何だこの人
2008-02-21 Thu 03:52
今日で教習所五日目。仮免前の学科試験には受かったのだが、技能の方がかなり遅れていて(時間は使っているが項目をクリアできていない)、追加教習は決定的である。それで昨日かなり落ち込んだのだが、技術というものは出来るようにならなければ次には進めない。ああ、こんな所でも運動神経の悪さが足を引っ張るとは…。

さて、今日はマニュアル教習生に一回だけあるオートマの技能教習。そこで私はオートマの運転しやすさに感動して泣かんばかりだったのだが、それよりも今日は濃ゆーい教官に当たった。車に乗り込んですぐ、教官は「オートマについて何か知っているか」と聞いた。そこで、学科でオートマのギアや注意点などについてやったばかりだったので、私は「学科で一通りの説明を聞きました」と答えた。そしたら、それが彼の逆鱗に触れたらしい。その返答にしつこくからんできた。

「学科でやったってアンタ、学科でやれば車が運転できたらみんな運転してるよ」
「ほら、隣の車を見てごらん。同じオートマ教習だけど、あっちの生徒さんは大人しく説明を聞いてるじゃない」
「学科でやりましたなんて、最初にばんって言うもんじゃないよ」

と、ねちねちねちねち。
静かになったと思ったら、また同じことを言い出す。

しまいには私がやった部分の教本を広げて、「ほら、こんなの学科でやった?やってないでしょ?やったの?」と聞いてくる。いい加減にうんざりしたが、やってないと言うしかない。
「やってないです」
「え?」
「やってないです!」
「ほら、だったら学科でやったなんて言うもんじゃないよ」

……何なんだこの人は~~っ!?
あんたが聞いたから答えただけでしょうが!
しつこいにも度があるぞ!

しかしあっちは教官、こっちは教習生。相手がどんな人間だろうと、せっかくクリアした項目に彼のハンコをもらわねばならない。なんだかとても人生勉強になった50分間だった。

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これは大変だ
2008-02-18 Mon 04:56
実は地元の自動車学校に申し込み、昨日から教習所通いの日々。今日は二日目にして初めての技能教習で、ついにハンドルを握った。

しかし、思った以上にものすごく難しい!!

オートマはオートマしかできないけどマニュアルはオートマとマニュアルの両方が運転できる!という理由からマニュアル車にしたはいいものの、クラッチを踏んだり離したりするタイミングがまったくつかめなくて、一限50分の間に10回近くエンストを起こす。しかも自分は運転に必死でエンジンが止まったことにも気付かない場合がしばしばで、「はい、もっかいエンジンかけて」と教官に言われるまでまだエンジンが回っていると思っていたり。(どうりで進まないと思った☆)

こ、こんなんで免許を取れるのだろうか…。(汗)

この一回目の技能教習を受けるまでは、学科教習で色々な交通ルールを「ふんふん、なるほどね」と素直に聞いていた。しかし、今日車に乗った後の学科では、私の注意力はクラッチやアクセルを踏むのと前を見るのですでに売り切れ状態でミラーをみたりウィンカーを出したり道路標識を見たりする余裕などとてもないと痛感しており、「進路変更時はミラーと目視による安全確認をしてから手前30メートル地点で方向指示灯を点灯しその約3秒後に再び安全確認をして云々」と教本が言っていても、自信を持って「そんな余裕はない」と言えてしまう。

はあ、世の中の運転してる人たちが急にすごく見えてきた。

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新鮮なもの
2008-02-16 Sat 07:58
「なんと面妖な」。ちょっと堅苦しいはずの「侍言葉」が若い世代で静かな人気を呼んでいる。メールの文章変換サイトでは「武士語」にアクセスが殺到。(中略)今、なぜ侍言葉なのか。日大の田中ゆかり教授(日本語学)は、「ギャル語など女性的なものが出尽くした感がある中、侍言葉の重くて男性的なノリが新鮮に映るのでは」と分析する。
(産経ニュース 2月16日)

新鮮…。そうね、確かに「致し候」とか言ってる茶髪のにーちゃんがいたら新鮮だわ。でも今の世間も流行も、要は”新鮮”であれば何でもいいんだなと今さらながらに実感したりする。だから色々なブームが短期間でやってきては去っていくの繰り返しなんだなと。

人も同じで、小泉さんとかホリエモンとか亀田兄弟とか、わーっと騒がれて人気になって、本人たちがまだそれでいい気分になっているうちに世間に見捨てられて没落するというパターンが多い。ただ人がものと違うのは、人間の場合はそれからも人生が続いていくことだ。一度注目を集めてもてはやれる事を経験してしまった人は、その後それを失ったというだけで惨めな思いをするかもしれないし、周りの人が哀れみと蔑ずみをもって自分を見ているという観念にとらわれるかもしれない。そういう人たちが再び心安らかな一般人に戻れるのかどうか、気になるところだ。

個人的に言えば、そういう人たちがそうなったのは「もてはやした世間」と「もてはやされて調子に乗った本人たち(あるいは世間の薄情さを忘れた無用心さ)」が半分ずつ悪いと思う。すべては、絶えず”新鮮なもの”を求めてさまよう薄情でいい加減な群集の興味の産物だ。

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携帯電話
2008-02-15 Fri 06:18
渡米前まで使っていたドコモの209i、アメリカで使っていたSprintに続き、三台目となる携帯電話を買った。会社は、今話題のソフトバンクである。

日本を発つ前まで使っていたのが白黒画面に着信は三和音という古~い機体だったので、今の携帯電話はどれも超ハイテクの塊に見える。5百万画素台のカメラが収まっていて、Bluetoothや赤外線通信が備わっていて、テレビが観れて、GPS機能が付いていて、質も量もフルバージョンの曲が聴けて、パソコンのようにネットサーフィンできるなんて、もはやドラえもんの道具を見るのび太くんの気分だ。

しかし、やっぱり携帯の本分は電話することと、まぁ大目に見てメールをすることであって(←エラそう)、そんなに機能を付けたところでどれも本家には敵わないのだ。写真はカメラで撮りたいし、テレビ番組はテレビで観たいし、音楽はiPODで聴いた方がそりゃいいだろう。なので、一生懸命に最新機能の説明をしてくれた店員さんにはすまないが、今回は少し古くて安い機種にした。

そして、買ってさっそく本体の裏側にUNRの丸い銀色のシールを貼り付ける。見よ、この涙ぐましい愛校精神を。(違)

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漢数字の新説
2008-02-13 Wed 21:48
ネットサーフィンをしていたら、こんな新説を紹介したページがあった。

「漢数字はギリシャ数字が起源!」

一、二、三……十
I、 II、 III…… X

ほら、似ているじゃないか!
漢数字とはギリシャ数字を横にしただけなのだ!

と、いう話だったのだが。
じゃ、四~九はどうなの?と思った私。

I II III IV V VI VII VIII IX X
 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
 壱 弐 参 肆 伍 陸 漆 捌 玖 拾(大字体)

似て…るかなあ?
個人的には、似ている数字の割合が少ないので、この説は認めません。

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ID不足
2008-02-12 Tue 04:21
今日はるんるんと携帯電話を買いに行ったのだが…買えなかった。
身分証明となる書類が足りなかったのだ。

ソフトバンクが定める有効な身分証明は以下のいずれかの組み合わせ。
1、運転免許証
2、日本のパスポート
3、健康保険証+官公庁の発行物
4、健康保険証+クレジットカード
5、健康保険証+学生証
6、保健福祉手帳
7、外国人登録証明書+外国パスポート

そして、今日私は健康保険証と外国人登録証明書を持っていたのに、上記の組み合わせのどれにも当てはまらずに買うことができなかったのだ。(銀行口座を開いたばかりでクレジットカードはまだ来ていなかったし、アメリカの学生証は却下された。)

アメリカでは免許も州のIDも作らなかったから、しょっちゅう酒が買えなかったりカジノに入れなかったりする不便をこうむった。IDの問題ここでも再び、である。

携帯を買うのにもパスポートがいるなんて知るかいっ。

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読みたい本
2008-02-11 Mon 07:06
日本で就職してもいいかもと思い始めた一つの要因に、結局アメリカにいても日本の本を好んで読む自分がいたからというのがある。好きで持ってきた中島敦や司馬遼太郎、バイト先にまで持って行って読んだ瀬名秀明や京極夏彦のレンガ本、そしてサンフランシスコに行けば寄る紀伊国屋書店で買った本など、手に取る本は英語よりも圧倒的に日本語のものが多かった。アメリカにいるのにスティーブン・キングの小説を和訳で読むというのは、自分でもおかしいと思った。そして、アメリカに残る未練はあまりないらしいと悟った。

今日、本屋に行ったら、読みたい本がたくさんあった。一番「おお?」と思ったのは、『相棒』という新刊のハードカバーで、将軍暗殺未遂事件を追って坂本竜馬と土方歳三がダックを組んで京の都を駆け回る、幕末オールスターによるエンターテイメント長編!というやつ。なんてすごい設定なんだ。それは読みたいぞ。

読書という楽しみが満たされる場所。やっぱり、日本に戻ってきて良かったのかもしれない。

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ストーカー予備軍
2008-02-10 Sun 10:22
こんにちは、『インチキ心理学』の時間です。さて、今日は最近ブレイク中のBLUE OCTOBERさんの「Calling You」を取り上げてみましょう。よくラジオで聞きますよね。では、その歌詞からどうぞ。

Well expect me to be
Calling you to see
If you're OK when I'm not around
Asking "if you love me"
I love the way you make it sound
Calling you to see
Do I try too hard to make you smile?
To make us smile
I will keep calling you to see
If you're sleeping, are you dreaming
If you're dreaming, are you dreaming of me
I can't believe you actually picked me

きっと僕は君に聞かずにはいられない
僕が居ない間はどうしているのか
僕のことを本当に愛しているのか
それを言ってくれる時の君が好きだから
僕は聞かずにはいられない
僕はがんばりすぎているだろうか?
君に笑ってもらうために 僕たちが笑えるように
僕は君に聞き続ける
もし君が寝ているのなら 夢を見ているのか
もし君が夢を見ているのなら 僕の夢をみているのか
君が僕を選んでくれたなんていまだに信じられないんだ

いやー、いい曲ですね。しかしこの歌詞から言えるのは、「僕」である男が”ストーカー予備軍”ともいえる徴候を示していることです。そばにいない時でも自分のことを考えていてほしい、寝ている時でも自分の夢を見てほしい。それを願う気持ちはわかるが、それを聞き続けるっていうのはちょっとすごい。そして「がんばりすぎているだろうか」と言いつつ、これは自分がやりすぎているとわかっていてもやめられないタイプです。そして「君が僕を選んでくれたなんていまだに信じられない」彼は、「君が一度選んだ僕を捨てるなんてもっと信じられない」でしょうから、女が何かの理由で変心した場合には逆上する可能性大でしょう。そもそもこのような心配性で執着心が強い、つまり独占欲も猜疑心も強い男性は、その想いの相手である女性とめでたく両思いだった場合はいいけれど、相手に拒まれた場合には逆ギレしてどんな行動に出るかわからない危険があります。以上、「印象と独断から判断する」インチキ心理学でした。

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ことば遊び
2008-02-08 Fri 09:29
自分の好きな文章や歌詞を訳すのは楽しい。原文の言わんとしている事を明確にイメージし、そのニュアンスを出すためにはどの言葉を使ったらいいかなどをあれこれ考えるわけだ。
以下、Blue Octoberの"Overweight"という曲の一部を訳してみた。

I want to learn to walk with others as an equal.
I want to treat the ones who love me with respect.
I want to tell the world I'll give them all a piggyback,
And try to take away my negative effect.
I want to kiss the girl, I know I'll never lie again.
I want to call my dad and tell him that I care.
I want to let my brother know he saved my life a thousand times throughout the years he's been my friend who's always there.

僕は他の人と平等に生きていくことを学びたい。
僕は自分を愛してくれる人たちを大事にしたい。
僕はこの世界をおんぶしてあげたい。
そして世界から僕の与えた悪い影響を取り除きたい。
僕は自分が二度と嘘をつかない女性とキスをしたい。
僕は父さんに電話をして気にかけていると伝えたい。
そして何より僕は兄(弟)さんに伝えたいんだ、
あなたはいつでも僕の側にいてくれて僕の友達であり続けてくれたことで今までに何千回も僕の命を救ったんだと。


気になる点その1:「tell the world I'll give them all a piggyback」は果たして「おんぶする」の意味でいいのか。正直言って、ここは意味がよくわからない。もしかしたら辞書にない慣用句か。

気になる点その2:「I want to kiss the girl, I know I'll never lie again」という言い回しは日本語にするとどこか変だ。「二度と嘘をつかない”つもりの”女性と」だとわかりやすいが、露骨で味わいがない。

気になる点その3:「tell him that I care」の「care」は含む意味が多くて、表したい意味にぴったり合う言葉がない。ここはむしろ大胆に「愛していると伝えたい」と変えた方がいいのだろうか。

気になる点その4:最後の行の長文は一気に畳み掛けるように早口に歌われるし、そういう文章構造になっているが、この畳み掛け構造をそのまま訳すととてもくどい。しかし普通の語順にしてしまうとあの痛切な叫びが伝わらないような気もする。


…ヒマだね、とか言わないように!(笑)

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合宿免許
2008-02-05 Tue 21:55
を、取っちゃろうかと思っていたのですが。
あれ、2月中旬~3月中旬の入校日って、いっちゃん高くない?
合宿は安いはずなのに、どこも30万円台に乗ってらっしゃるわ。
ああ…そうか。それは日本の大学生諸君が春休みに入るから。
ぐはっ、なんてこった。

そこで友達の言葉を思い出してみる。
彼女はNIC修了後、渡米までの間に合宿で取ったと言う。
ではなぜ当時の私はそれを思いつかなかったのだろうか。
と、母に聞いてみたところ。
「だってあんたがアメリカで取るからいいって言ったんじゃない」
…私が悪うございました。

しかしこう、プラン選びが難儀してくると、人は弱気になるもので。
何もクルマじゃなくても、バイクでいい気がしてきた。
そうだよ、東京も大阪も十分交通が発達してるし。
うん、電車に乗れば基本的にどこでも行けるし。
…ていうか、むしろチャリンコでいいのでは?

嗚呼、私がハンドルを握る日は果たしてやって来るのだろうか。

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あいさつ魔人
2008-02-04 Mon 03:08
今日スーパーへ買い物に行った時、店員さんが商品の整理をしながら「いらっしゃいませー」と言ったので「こんにちはー」と返したら、怪訝な表情で振り向かれた。

…あれ、こういう時ってあいさつしないっけ??
道ですれ違う人と目が合っても微笑まないようにしたりして気を付けているつもりだったが、やっぱり外洋帰りのあいさつ魔人になっていたか。

しかし考えてみれば、それぐらいいいじゃないかと思う。
そこでもし私が「Hey, what's up? man!」とか言いながら手を差し出したら、そりゃ日本で変な人だが、「こんにちは」だったらいい気もするのだが。

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TOEICですって
2008-02-03 Sun 04:28
私が4月から入ろうとしている会社では、研修の一環で全員TOEICを受験しなければいけないらしい。それを聞いて「げっ!」と思った私。

なぜならば、アメリカに行ってから伸ばした英語の能力とは、もっぱら「いかに省略して早く通じるか」という事に重点を置いた口語であり、「いかに文法的に正しいか」という事はむしろおざなりにされていた。理系であまりペーパーを書かなかった+文法的な細かい事を気にするのが面倒な性質だったのもあって、今さら教科書の文法のテストを受けさせられるのは寝耳に水である。リスニングはまだいいが、グラマーは…うん…どうしようね。

何よりも恐ろしいのは、「あれ、○○さんってアメリカの大学を卒業したって聞いたけど…(以下心の声:それでこの点数なんだ…ふーん。)」と周りから冷たい目で見られたらどうしよう、という事だったり。勉強、しなきゃなあ。

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再び成田へ
2008-02-01 Fri 06:53
ついに帰ってきちゃいました、日本。

出発の朝、起きてまず布団をたたんでダンボール箱に入れ、寝ていたマットレスと一緒にゴミ箱へ運ぶという最後の儀式を終えた後、3年と7ヶ月間住んだ街を離れた。カリフォルニアの海岸線を見送り、ほぼ寝ずに10時間半を過ごし、見えてきた千葉の海岸線に「セミの声を聞くたびに/目に浮かぶ九十九里浜」と椎名林檎を口ずさみつつ、どんっと着陸した飛行機は再び私を成田に運んだのだった。

もうあんな、「遊びに行くわ」と電話してから5分後にはドアがノックされるような気軽な往来ができなくなると思うと寂しい。英語も、放っておいたら忘れるだけだろうから、できるだけ触れるようにしようと思った。(この決意が続くといいのだが。)

今日のおかしかったこと。成田空港から町田駅まで高速バスに乗り、町田で降りた後に迎えに来てもらおうと電話したかったのだが、荷物が多くて動けない。高速バスの職員のおじさんにちょっと荷物を見ていてほしいと頼んだら、おじさんは真面目な顔で「いいえ、それはできません。私はもう帰りますから」と言った。

…ねえ、なにその英文和訳みたいな文章?

(結局、おじさんの和訳っぷりに脱力していたら、一緒にバスを降りた女性が見ていてくれることになったので、電話をかけられた。)

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| 紅炉一点雪 |
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