なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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自由意志
2009-07-22 Wed 06:58

 「木場の行動を決定しているのは、木場の置かれた環境や条件そのものなのではないだろうか。そこに木場の意思などあるのか。
 そもそも意志とは何だ。何処にある。
 人に、本当の意味での自由意志などあるのか。
 凡てのものごとは、決めるのではなく、決められる――のではないか。」

京極夏彦 『塗仏の宴~宴の支度~』 515ページ


生きている限り、「本当の意味での自由意志」はないと思う。何かをしたい、そしてしようと思ったら別にできるが、何か理由があってそれをすることをやめざるを得ない場合、その選択肢は最初からないのと同じことだ。

そこで「自分はそれを選べなかったのではなく、選ばなかったのだ」と考えるのは、気休めであってごまかしだ。選ばなかったのは選べなかったからで、選べなかった選択肢は最初からなかったのだ。

…そう考える事もまた、気休めであってごまかしなのかも知れないが。





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白山!
2009-07-21 Tue 06:55
白山、行ってきました。

雨と濃い霧で、残念ながら最高峰・御前峰の登頂はあきらめ、標高約2,100メートルの南竜ヶ馬場でテント泊をして、翌日下山した。

南竜での他のテントの明かりがぼんやりと浮かび上がる夜の霧の風景と、下山した日の天の川や夏の大三角形がよく見えた満天の星空は、どちらもすごくきれいだった。


P1250222.jpg
甚之助避難小屋(1970m)にて。ザックを降ろして雨具をつける。

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南竜山荘の中のストーブ。雨で濡れた身体にはありがたい。

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前を歩く同期の友人。二人とも今回のために装備を揃えた。

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標高2,000メートルの川。もちろん澄み切っている。

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夏でも溶けない雪渓。これって今年の初雪だわ。

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炊事場でランタンの明かりで夕飯を食べる。献立は具沢山の豚汁。

P1250403.jpg
夕飯の後はもう一度ご飯を炊いて、翌日の昼食用におにぎりを握る。

P1250430.jpg
二日目の朝、黒百合が咲く湿地帯にて。ここから下山する。


次に行く時は登頂できるといいな。




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白山
2009-07-17 Fri 06:37

明日から3日間、石川県の白山(はくさん)に登ってきます。

最高峰は2,702メートルで、富士山・立山とともに日本三名山(三霊山)のひとつに数えられる山です。そんな高さの山に登るのも初めてだし、テントや炊事用具を担いでの泊りがけの登山も初めてです。三連休をめいっぱい使って、2泊3日で行って来ます。

北海道の大雪山系(お盆休みに登る予定…)での計10人が死亡した遭難事故のニュースがあったばかりなので、気を付けて行きたいと思います。

それでは、また戻って来たら書きます。





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1984
2009-07-16 Thu 08:55
1984年とは、私が生まれた年だ。たまたまかもしれないが、“1984”という年号をモチーフにしたタイトルの小説を二つ知っている。

一つは、イギリス人作家のジョージ・オーウェルが東西冷戦が始まった頃に書いた『1984』で、同作者による『動物農場』も有名だ。『1984』は、レイ・ブラッドベリの『華氏451』と同じ流れにある反全体主義思想というやつの代表作の一つで、いわゆる近未来の非人間的な統制管理社会の恐怖を描いて、当時の世界情勢への危惧と批判を表しているらしい。読んだことはないのだが、アメリカにいた時に古本屋(トラッキー川沿いの映画館の近くにあったお店)で見かけてタイトルを覚えていた。


1q84_thum.png

もう一つは、今年の5月に発売された村上春樹の書き下ろし長編小説『1Q84』。こちらも読んだことはないのだが、この前のクローズアップ現代で取り上げられていて興味を持った。現実の1984年と、それとは微妙に異なる不思議な1Q84年を体験していく2人の主人公の物語だそうだ。文学の巨匠・村上春樹氏の作品はまだ読んだことがないが、設定とテーマを聞いてこの『1Q84』はちょっと読んでみたくなった。


さて、実際の1984年は(私が生まれた以外に)何があったか。

登山家の植村直己がマッキンリーで消息不明になったり、アップルからマッキントッシュが発売されたり、桑田や清原がPL学園でまだ高校生をやっていたり、福沢諭吉・新渡戸稲造・夏目漱石という見慣れた組み合わせの紙幣が発行されたり、システム手帳が登場したり、日本の平均寿命が男女共に世界一になったりしたらしい。

やはりもう歴史である。





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理由の存在
2009-07-09 Thu 08:14

Where did I go wrong, I lost a friend
Somewhere along in the bitterness
And I would have stayed up with you all night
Had I known how to save a life

The Fray "How To Save A Life"

「一体どこで間違えたのだろう?僕は友達を失った。
その苦々しさをかみしめる。
こうなるんだったら、君のために夜通し起きているんだった。
君を救う方法を僕は知っていたはずなのに。」
(意訳)



何かの現象には原因が、人間の行動には理由が、必ずあるものだろうか。一応科学という“合理的思考”を学んだ者として、現象には原因があると認めたとしても、人間の場合は理由があるのかどうか、分からなくなる時がある。

いや、その言い方は正しくない。何らかの理由は必ず存在する。ただ、周囲がそれを理由として認めるとは限らない。例えば自殺を図ろうとしている人間に対して、「そんな理由でバカなことをするな!」と(フィクションで見る限りは)言ったりするが、そんな言葉は意味がない。なぜなら、本人にとってそれは立派な理由になっているからこそ、そんな行動を取ろうとしているのだ。周りにとっては下らないことでも、本人にとっては一大事だ。

言い換えると、理由の中身はそんなに大事ではない。理由を話したところで、他人からは「そんな理由でこんな事をやろうとしているのは理解ができない」と言われるだけかもしれない。大事なのは、それが本人にとって何かの選択をし、何かの行動を起こすに足る理由であるという事実だ。そのジャッジさえあれば、本人にとってさえ理由の中身は別に構わなくなる。

人間とは、いつもあれやこれやと考え込んでいるようでいて、実はあまり考えていない。







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敦子の憂い
2009-07-07 Tue 06:48
 「現実はそんな綺麗な形に結実し得ない。現実の世界は不安定で非合理でいい加減なものなのだ。(中略)結局敦子は、非経験的な理想的世界観に強い憧憬を抱いている――経験的な社会からただ顔を背けて生きている――に過ぎないのだろう。
 そう思うと、ほんの少し――本当にほんの少しだけ――敦子は遣り切れなくなった。杓子定規で面白みのない女だと、爪の先だけでそう思った。そしてそんな時でも、頭の上には妙に醒めた別の自分が居て、この女本気で思っている訳でもない癖に――などと云い乍ら冷笑しているような気がして、余計に厭になった。」

京極夏彦 『塗仏の宴~宴の支度~』 345ページ


小説の作者によって、登場人物の心理描写に費やされる文章の量には大きな差があると思う。それは作品のボリュームやページ数に大抵比例するが、本の厚さとは別に描写の濃さの違いみたいなものがある。かつてスティーブ・キングを愛読していた私は、赤川次郎作品を読んで、ページの空白部分の多さとその描写のあっさりさにびっくりした。(でもテンポの良いミステリーとしては好き。)そういう部分の「こってりさ」は小説作品の好き嫌いを決める一つの基準になるし、それでいくと私は結構くどいタイプのものをよく読む。

冒頭に長々と書き出した京極堂の妹・中禅寺敦子の下りは、京極夏彦作品のその「こってりさ」を体現していると思う。ただ「敦子は遣り切れなくなった」とその現象だけを書いて次に進むことだってできた所を、理由と背景と現状を交えて敦子のもやもやとした心情を事細かに解説している。万事がこの調子なので、本がレンガのような厚みになるのも無理はない。

京極夏彦作品は、「濃厚とんこつ中細ちぢれ麺、20人前入りまーす!」といったところだが、それを何だかんだ言っておいしく食べさせてしまうところに作者のすごさがあると思う。



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カラオケ屋への不満
2009-07-05 Sun 06:54

Blue-October-blue-october-178233_1280_960cut4.jpg


You never doubted my warped opinions on things like suicidal hate.
You made me compliment myself when it was way too hard to take.
So I'll drive so fucking far away that I'll never cross your mind.
And do whatever it takes in your heart to leave me behind.

"Hate me" Blue October

「君は自虐的な悪意という僕のイカれた持論を疑いもしなかった。
それにつけあがって、僕は自画自賛を始め出す始末だ。
僕は車に飛び乗って、君の届かない遠くへと突っ走る。
君が僕の事を切り捨てるためだったら何だってするさ。」



アメリカにいた頃にラジオで「Into the Ocean」と「Hate me」(共に『Foiled』に収録)を聴いて、大いに気に入ったBlue Octoberというバンドの曲を、日本でカラオケに入るたびにくまなく探すのだが、見つけたためしがない。

カラオケの曲を誰が追加しているのかは知らないが、メジャーなバンドのマイナーな曲は入っているくせに、マイナーなバンドのメジャーな曲(だってラジオで流れてたもん!)を入れないとは、それでも音楽を愛する人間だろうか?

なんて、大人の事情を無視した文句を言ってみる。Blue Octoberを歌わせろー!!







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カントリーロード
2009-07-03 Fri 06:44
カントリー・ロード
この道 ふるさとへ続いても
僕は 行かないさ 
行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード
明日は いつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード


今日は頼まれごとの用事があって、会社を出た後に久し振りに鈴鹿へ出かけた。そこには大きなショッピングモールがあって、各種の専門店も多いのでだいたいの物は揃う。ジャスコで用事を果たし、通りかかった酒屋の店先で変わったリキュール(緑茶入りの玉露梅酒やシナモン入りの八橋梅酒!)を買い込んだ後、雑貨屋に入った。

その雑貨屋には本のコーナーもあって、個性的な雑誌や写真集、「聖☆おにいさん」やオノナツメ作品といったセンス抜群の漫画を取り揃えている。私はそこに一度行くとなかなか出られないのだ。今日も何時間も立ち読みしてしまい、仕事帰りのまま行ったのでヒールを履いていた足と腰と腕が痛くて、それでも面白すぎて立ち読みを止められないという葛藤に陥っていた。ちなみに、読んでいたのは「浅田家」という写真集と、廃墟の写真集と、「死ななくてすむ人間関係の作り方」。

その時、バックにはジブリの名曲をレゲエ風にアレンジしたCDが流れていた。(やっと本題に入れた…。前置きが長いといつも言われる。)10曲ぐらいのCDがリピートで流れていたのだが、冒頭に歌詞を書いた「カントリーロード」を6回か7回は聞いた。どんだけいたんだよ!

私はこの曲が大好きで、今日も聞きながら「日本語の歌詞もいいなあ」としみじみ思っていたが、毎回カントリーロードがかかると「これを聞いたら帰ろう」と思い、帰らなきゃ帰らなきゃと思いつつも読んでしまって、気付くとまたカントリーロードがかかっているのである。まさに、「帰りたい 帰れない カントリーロード」だった。



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オリジナル曲の作者 ジョン・デンバー






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さとりのしょ
2009-07-02 Thu 06:14
ゲームにはちょっと疎いのだが、「さとりのしょ」というのがあるらしい。それは悟りを開くための書物で、これを持っていると賢者に転職できるらしい。しかも消耗品。えー、賢者って転職するもんなの!?


peeping_life.jpg

なんでこんなことを言い出したかというと、シュールギャグCGミニアニメ「Peeping Life」のエンディング曲がdetune.の「さとりのしょ」で、この曲がちょっと気に入ったから。


「残念でした 君はまだ修行が足りない
なら さとりのしょを 
手に取ってゆくんだ 僕はやがて
土にやってゆくのさ 何も見えない
でも生きてくんだ 誰かのためにと 言い続けて
呆れられながらゆく 待っててね」


微妙に明るいんだけど、どこか気だるい感じのメロディと歌詞が好き。そして本編の「Peeping Life」もまた味のある作品で、基本的には2人の登場人物の掛け合いのみ。おでん缶の自動販売機の前で延々と喋っているオタクの青年とか、合コンに全く同じ服を着て行ってしまった先輩と後輩の女子トイレでの会話とか、超くだらないことでデートに行かないとゴネだす彼女とそれを懸命になだめる彼氏とか。


日常そのものが物語であるってやつだな。





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雨の夜には読書を
2009-07-01 Wed 04:21


「ともあれ、何も疑わずに自信に満ちた人間と云うのは実に苦手だ。
それは私の対極にいる人達だからだ。」

京極夏彦 『塗仏の宴~宴の支度~』 274ページ



私がブログを書かなくなる時期。最近に限って言えば、それは何かの本を読み出した時だと分かった。前回一ヶ月以上放置した時は、漫画版『風の谷のナウシカ』全巻を来る日も来る日も読んでいた時で、ここ一週間以上書いていなかったのは、京極夏彦を読み始めたからだろう。時間がある時にパソコンへと伸びる手が、本の方に伸びてしまうかららしい。

冒頭は、一応主人公の一人である関口巽の台詞。私は最初の『姑獲鳥の夏』を読んだ時から関口のうじうじっぷりが嫌いで、シリーズを追うごとに彼の出番が減っていくことはまったく気にならなかった。今回も「ふーん、出てきたんだ」ぐらいにしか思っていなかったが、今度はなぜか関口の台詞がすんなりと入ってくるし、たまには賛意まで感じてしまう。これがどういう心境の変化なのかは分からない。



「酷く殴られて、目が眩んだ。
ふ――と、意識が飛んでどうでもよくなる。
考えないことは何て楽なことなんだろう。
私と云うものは考えるから在るのか。私が考えなければ私は罔(な)いと云うのか。ならば考えている私と云うのは何処に在るのか。その私こそが――。
私から逃げて行ったのだろう。」







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