なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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25人の白雪姫
2010-05-27 Thu 07:00
タントのCMで、ゆうすけサンタマリアの演じる夫婦が「主役なんだから早く早く!」と桃太郎の格好をした幼稚園の息子を学芸会に送り出し、舞台が始まってみるとそこには桃太郎がずらりと並んでいて、「全員主役!?」と驚いて終わるというものがある。あれはシュールなギャグだと思っていたが、あながちそうでもないらしい。

昨日やっていたテレビによれば、ある小学校のクラスで『白雪姫』のお芝居をやることになり、女子がほぼ全員主役の白雪姫を望んだ。ジャンケンで一人に決めさせたものの、相次ぐ保護者からの強硬なクレームに担任の先生が耐えきれず、ついに女子全員が白雪姫を演じた『白雪姫と7人の小人』ならぬ『白雪姫と25人の白雪姫』なる意味不明なお芝居になったという。他の保護者が驚く中、白雪姫の保護者たちは大満足。似たようなことは世界中の学校で起きているんだとか。

これはよく考えればおかしな状況である。主役の白雪姫が人気だったのは、それがたった一人しかいない主役だからだ。他に小人とか魔女とか木とか動物とかを演じる大勢がいて、やっと一人の白雪姫は主役たり得るのである。そうやって成り立つ白雪姫の主役としての価値は認めながら(京極堂風に言えば“古い時代の約束事”を引きずりつつ)、それを成立させる条件をまるで無視して『白雪姫と25人の白雪姫』にするというのはすごい矛盾だ。…そんなんでうれしいか?

敗者がいるからこそ勝者が存在し、少数派がいるからこそ多数派が成り立つ。(たとえそれを理解しない多数派によって、少数派が常に迫害され蹂躙される運命にあったとしても。)全員が勝ち組になったらそれはもう勝ちではない。光しかないことと闇しかないことは同義だ。完全に平等でまっ平らな世界ではきっと人間は生きていけない。なぜなら他者との違いが自己の輪郭を認識するための境界線だからだ。他者との優劣をつけなれけば人は自分の存在さえ把握できない。だから生きることは常に痛みを伴う。そうやって境界線を引かなければならない痛みが。



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おしりとの相性
2010-05-26 Wed 04:33
いつも山登りに行っているクラブのメンバーは、山登り以外にも色々やっている。今度も素敵なイベントの企画があった。


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案内のメールには、「サイクリング:千種駅(名古屋市内)から伊良湖までこいで、温泉に入り、ビーチで野宿し、翌朝にフェリーで師崎へ渡り、海岸沿いの道をこいで名古屋に戻る。どんな自転車でもOK。寝袋と着替えを持参」とある。なんて面白そうな企画!しかも私はもらいもののマウンテンバイク(ハンドルがL字型に上を向いているもの)を持っている。

だがしかし、残念ながらこの企画には参加できないだろう。自転車が手に入ったばかりの頃、電車一駅分の距離にある東海道・関宿まで自転車をこいで行ったことがあったが、一時間足らずの小旅行でおしりが痛くてしょうがなくなり、帰りはほとんど立ちこぎを強いられたのだ。こんなんで一泊二日の自転車の旅になんぞ出たら、しまいには自分が自転車を担いで走るはめになってしまう(爆)。

サドルの形とおしりとの相性がわるいのか、体重のかけ方がわるいのか…。あれ以来、自転車に長く乗る人には「おしり痛くないんですか?」と聞いてみたくて仕方がない。



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『邪魅の雫』読了
2010-05-25 Tue 09:27
京極堂シリーズ最新作の『邪魅の雫』を読了。以下、書きなぐりの感想。

毎度おなじみ、このシリーズの看板でもある京極堂の妖怪に関する蘊蓄トークがない!それどころか、タイトルとなっている妖怪の説明をなんと関口くんが1行で代弁するという前代未聞の珍事。

関口くんがいつになく頼もしく、何度か「ほう」と言わせるような持論を展開する。極めつけは、「この僕にさえ言えないことなのか!」と榎木津に詰め寄る関口くんを見られる日が来るとは思わなかった。

榎木津が妙に大人しく、シリアスである。榎木津の色恋話が出てきて盛り上がるのだが、マインドアサシンのかずいと夕夏里の話もそうだったように、「え?本当にこんな女を好きになったの?」というような感じもする。もっといい人いるよ、榎さん。

『陰摩羅鬼の瑕』に出てきた、悪い人じゃないけどとにかくズレてる大鷹篤志が再登場。前回の事件がきっかけで刑事を辞めて、自分探しの旅に出たらそのまま…。彼に関する結末が一番ぐっときた。本当に莫迦なままいってしまった人。

公安課の刑事・郷嶋が、捜査を仕切る管理官に向かって「無能だな、あんた。使えない頭なら軒に下げて猫避けにでも使え」と放言。フィクションでしかあり得ないシーンだけど、こういうすかっとする場面が書けるのが小説のいいところだ。


講談社ノベルズ版、上下二段書きで817ページ。長かった…。昨日から根を詰めすぎて気分がわるい。でも、これで既刊作品を全部読んだのでその点では満足だ。長かった徒労感と読み終わった達成感と夜更かしした後悔と眠気とともにおやすみなさい。






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雨耕雨読
2010-05-23 Sun 05:42
(この前まであんまり書いてなかったが、最近はよく書いている。しばらく間にあけた後にそういうことがある。)

今日は山登りのメンバーつながりで、愛知県稲武町にある菜園レストラン「山里Cyafe(ちゃふぇ)」さんのところで田植え&BBQをした。田植えは初体験だったが、素足で田んぼにずぶずぶと踏み入るとその泥のきめ細かさに驚かされる。あれはかなり気持ちいい。そこへ脛まで浸かって入り、手で水の下の泥を平らにならして、田んぼを横断して張られた糸を目印に苗を植え、全員が植え終わったら声をかけて次のラインへと糸を移す。息の合った共同作業が求められ、よく「田植えと稲刈りは村総出」と言われるのを実感できた。雨の中での田植えだったが、ふと顔を上げると続く田んぼの先に雨煙にけぶる山並みが見えて、その静かな風景に見とれたりした。

さて、名古屋に出る時は片道1時間半近くの電車(JR関西本線)に乗る。名古屋から離れるとどんどん人が減っていき、終点の亀山駅に着く頃には数人しかいない。長い電車の中でする事といえば読書と居眠りで、今は京極夏彦氏の『邪魅の雫』を半分ぐらい読んだところだ。今回は“よく人間でいることに行き詰まる”関口巽が持論を語るという数少ない場面があり、それがなかなか示唆に富んだ内容だった。

「動物はいたずらに子供を殺したりはしないが、必要以上に愛着を持ったりもしないだろう。育てたら終いだ。執着はない。でも人は違うだろ。愛憎は共に執着の皮相に過ぎないのじゃないかな」(中略)「少しでも関わりを持てば、些細ではあっても執着が生まれるからね。深い浅いは関係ない。好きでも嫌いでも同じことで、それは常に最悪の予感を伴うのさ。そうすると人と関わることが堪らなく辛いものになる。死にたいと殺したいはきっと同義だし、それは愛情と同質のものだ。そんな風に思ってしまう――」(講談社ノベルズ版 409ページ)

こっちまで関口巽の十八番である鬱病になりそうな、でも確かにそれが真実かもしれないと思えるような理論だ。そんな晴耕雨読ならぬ、雨耕雨読の一日。



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歌の詞
2010-05-22 Sat 05:04
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Green is beautiful. (by B'zの稲葉さん)

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お昼ごはんを食べた岩場の正面に見える仙ヶ岳の双耳峰。

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無心の座禅……ではなくて、食後の一服。


昼間に宮指路岳(946m)を登った後に、同期の友人と食事をしながら音楽の作り方の話をしていた。私は楽器よりは文章の方がまだ得手なので、興味がわいて帰ってから作詞について調べてみた。そしたら作詞にはいくつかポイントがあって、①まずタイトルを決めて書きたいテーマから思いつく言葉を書き出す、②基本的なストーリー展開を作るために5W1Hを決める、③曲が付くのでAメロ・Bメロ・サビなどに分けて構成する、④具体的なイメージがわくようなドラマのストーリー作りに心がける、などなど。

どんな歌詞にもストーリー性はあるものだが、中でも一曲で短編小説のように起承転結のしっかりした物語になっている曲が好きで、一つ例をあげるとしたらB’zの稲葉さんのソロ曲である『静かな雨』が秀逸だ。

憂うつな雨の朝の渋滞で、横に並んだタクシーにひとり座った“君に似た人”を見つけ、静かな雨に声も出せずに胸だけが高鳴る。心の中で話すだけのほんの数分間のランデブーの後、窓を開けて目を追いかけてもそこには誰もいなくて、切ない気持ちで薄く光の漏れる空を見上げてから交差点を曲がっていく。

…こうして歌詞をつなげるだけで物語の説明になるのだから、その描写がいかに簡潔ながら情緒に富んでいて優れたものであるかがわかるだろう。日頃そこら辺にごろごろしているものでも、自分でやってみようとするとそんなに簡単じゃないのだが。



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マジで命がけ
2010-05-19 Wed 07:13
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何事も中庸が一番だ、と言ったのはアリストテレスだったような気がする。運動不足解消だ、有酸素運動だとされる登山も、極めればそんな悠長なことを言っていられなくなる。e-woman掲載のアルピニスト・野口健さんのインタビューを読んでそう思った。

野口さんはエベレストの清掃隊として高度6,000メートル~8,000メートル地点に何カ月も滞在。低酸素状態に長くいたせいで、がんばりすぎた心臓の弁の付け根が腫れあがってちゃんと閉まらずに血液が逆流、胃や腸にも穴がいっぱいあき、出血が止まらずに2カ月入院した。あと、酸欠になると血液がうまく循環できなくなって血行障害に陥り、肝機能が低下して脳の働きも鈍るという。

野口さん 「だから登山家の人は血が汚いんですよ、みんな。ドロドロしちゃって。で、血が汚いところから病気っていうのは生まれてくるんで、病院に行ったら僕の血は汚すぎてね、人には輸血できないって言うんですよ。見てわかるくらい、他の人と違うんです。」

…登山の行きつく先はそんな恐ろしいことになるのか。


あと、ダイバーが水深の深いところで奇行に走る(UNRのコーチが挙げた例でいえば、魚にレギュレーターをあげようとするなど)のは聞き知っていたが、同じように登山家も酸素のうすい高山で気がおかしくなるというのを知った。

野口さんは酸素ボンベが底をついて極限状態になった時に、酸素マスクを外してガーっとかんでいる自分に気付いて、「あ、もうヤバいな」と思ったらしい。他にも、バランスひとつで命にかかわる所でロープをつかんでジャンプしたり、ベースキャンプに置いたボンベに向かって「いつまでそこにいるんだ?早く来いよ!」と言い続けたり。…今、平地で普通に息が吸える幸せを実感だな。



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how far can we get?
2010-05-18 Tue 07:01
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2004年4月22日号の『Nature』掲載の論文によれば、東京農業大学の河野友宏教授らの研究チームが2匹のメスのネズミによる生殖を成功させ、卵子のみから発生したマウス“かぐや”が誕生した。それを知ったのは、さっきNHKでやっていた爆笑問題の番組で彼らがその河野教授と対話していたからだ。

教授らはメスのネズミの卵子に“卵子形成過程で行われる後成的遺伝子修飾=ゲノミック・インプリンティング”を施し(ゲノムの特定個所にマーキングをする)、精子の働きを持った卵子を作り出した。それを別のネズミの卵子と受精させ、代理母からかぐやは生まれた。

それに対して、太田と田中の議論が冴えている。
「それで生まれるはずのないネズミが生まれたんですよね」
「ネズミにできるんだから、人間にだってできるんでしょ」

しかし太田はこうも言う。
「でももう一つ高い観点に立てば、それだって宇宙の法則に従ったことをしたまでですよね」
「ええ、我々は生命の不思議を模倣したにすぎません」(教授)
「てことは、我々にできる範囲のことは我々がすることが許されていることになるわけで、そこにいいとか悪いとかはないんですね」


誰かが言った言葉の通りである。
“人間が可能だとわかっていることを試さなかったことは一度もない”

かぐやは今、はく製となって河野教授の研究室にいる。



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心も満タンに
2010-05-13 Thu 08:03
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この丸いおしり。名付けてアライグマ。


自動車税の季節が来た。私のスパシオは普通車の1600ccなので結構高くて、福沢諭吉さんが4人は飛んでいく。軽車なんてそれよりゼロが一個少ないぐらいなのに。

こういった出費がある時には、まだ車を持とうかどうか考えていた時の費用の試算を思い出す。ざっくりとした計算だが、年間50万円ぐらいはかかると思わないといけないなと計算した覚えがある。ガソリン、駐車場、自動車保険(事故をして等級を下げた場合は特に)、税金、車検、オイル交換などの整備、そして事故の時の修理代などなど。買う時は福沢諭吉さんが一学年分、維持費に一クラス分ってところだ。(←そんな学校いやだ)

まぁ、お金は使うためにあるので、そんな勘定ばかりしていてもしょうがないのだが、車を持つ理由というのは便利で早いという実際的なもののほかに、自由であるというコンディションが含まれるのではないかと思う。行こうと思えば行けるという “未然だが可能”の状態は、行けないからやめておくという状態と、行かないという結果は同じだが気持ちが違う。そして、その気持ちこそが人を偉業にも愚行にも駆り立てるわけで、実際に他者から見てそれに意味があったかどうかはともかく、人生のあらゆる努力と代償がその気持ちを満たすために費やされていくというのは泣けるような笑えるような話だ。



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何つながりですか
2010-05-11 Tue 06:41
前の記事で近場のお気に入りスポット・錫杖ヶ岳について書いたら…

記事の下の広告で「錫杖をお探しならここへ」とか出てる!(爆笑)
なんて適当なキーワード広告!探してませんってば。



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こんなミニサイズのストラップも。(かわいいよコレ)
仏教・法具業界もマーケティングに余念がないな…。



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錫杖ヶ岳
2010-05-10 Mon 07:33
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津市方面に20分ぐらい車を走らせると錫杖湖というダム湖があり、その傍らには676メートルの錫杖ヶ岳がそびえている。それなりに傾斜のある2キロ弱のコースは1時間ちょっとぐらいで登れるが、大きな岩が横たわる頂上は狭く切り立っていて、360度の大パノラマが望める。


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南には滋賀まで伸びる鈴鹿山系、北には世界遺産の熊野古道を擁する山々、西には山間に消えゆく名阪国道、そして東には平野が開けていて、私の住む亀山市と高速道路がとぐろを巻く亀山ジャンクション、その先に大型モールのある鈴鹿市、海沿いには県庁所在地の津市、少し下って松阪市、工場の煙突が並ぶ四日市市、そして遠くに高層ビル群がかすむ名古屋まで見える。街並みの向こうには伊勢湾が広がり、海の青と空の青が二つの境界線をぼやけさせている。まあ、一つだけ言うなら自分の会社がよく見えてしまうのが難なのだが…。(あと、住んでいるマンションも見える。)


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そんなあまり手がかからずに空に近い場所へ行ける錫杖ヶ岳が好きで、この日曜日も前述の車の整備を済ませた後に登りに行った。これで5回目の登頂である。すでに山登りするには遅い時間だったので山頂には誰もおらず、山頂の岩の先端に座って、晴れ渡る空と上記の景色をぼけーっと眺めていた。今色々迷っていることについて考えよう、結論を出そうと思って登りに来て、あの空に近い場所で深呼吸をすれば何かいい考えが浮かぶのではないかと思っていたが、特にそんなこともなかった…。今度は本とお弁当を持って、一日中あのてっぺんで過ごしてみたいものだ。


(写真は11月の撮影)



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ヨタスパ
2010-05-09 Sun 06:34
先日、四日市から亀山に戻る国道一号線を走っていた時、何もない道で車に軽い衝撃を感じ、減速していないのに速度がふっと下がった。しばらくすると、スピードメーターの下に見たことのない種類の警告灯がついている。でも赤じゃなくて黄色のサインだったし、とりあえずは走れてるし、まぁそのうち消えるんちゃうかと思って放っておいたが、一週間たっても警告灯が消えない。うー面倒くさいと思いつつ、今日ガソリンスタンドに行って見てもらった。

点灯していたのは『タイヤ空気圧異常』で、左後輪のバルブ口が劣化して空気漏れしていたらしい。「このまま走るとタイヤがバーストしてしまいます」と言うので、すぐに交換してもらった。それでタイヤを直す際にあちこちチェックしたらしく、中で待っているとスタッフの人がやってきてこう言った。「あのー、ATF(オートマチック・トランスミッション・フルード)も換えた方がいいと思いますよ。通常1万5千から2万キロごとに換えるのですが、この車は6万キロほど換えていません。」

…知っている。前に来た時にも言われたし、車検の時にも言われたからだ。しかしATFというのは安くない。1万数千円になると言われて、とりあえず走れるべ?と思って「またにします」と断ったのだ。しかし今日のスタッフはなかなか用意周到で、新品のフルードと私の車のフルードを持ってきて比べて見せた。新品のが紅茶のストレートティー、私のがコーヒーのブラックのような色合いである。…明らかに汚い。違いを見せられた上に「今、先着200台限定でATF交換キャンペーンをやっていますよ」と言われて、「じゃあ…」と交換に同意した。

さて、適正になったタイヤ空気圧と新品になったATFの乗り心地はというと、たしかに良くなった気がする。タイヤの方は安心して乗れるようになったし、ATFの交換で加速が驚くほどスムーズになり、少しのアクセルの踏み込みでかなり加速するようになったのでたぶん燃費も良くなるだろう。お金はかかったが、これはこれでうれしい。

某警察ものアニメで、交通課の凄腕メカニック婦警がパトロール用のホンダ・トゥデイを改造しまくって(排気量アップ・ターボ装着・ニトロ噴射・前後ツインエンジンの4WD化など)、軽車なのに高速道路でカーチェイスできるぐらいの車体にしていたが、車のスペックを上げるためなら金と労力を惜しまない!という小早川巡査の気持ちがちょっと分からなくもない。

(TOYOTA S800→ヨタハチにならって、TOYOTA SPACIO→ヨタスパと呼んでみた)


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ピカソ・カー。超乗りにくそう。



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ステーキスイーツ
2010-05-08 Sat 02:29
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これはステーキに見えるけど、なんとケーキである。

「肉!?いえ、スイーツです。
どっしり重量感のある分厚いステーキ、と思いきや
じつはコレどこを切っても甘くておいしいスイーツなんです。
遊び心あふれるパティシエが編み出した“そっくりスイーツ”!」
(大阪新阪急ホテルHPより)

構造はというと、
ステーキ: 外側→チョコレートクリーム、中身→木イチゴとカシスのムース、底→薄焼きクッキーとチョコスポンジ
にんじん: オレンジのゼリー
ソース : 赤ワイン風味のソース

切ったらちゃんとステーキの中は赤いし、もうすでに焼き目がついてるのだろうがフランベ(強い火であぶって表面を焦がすやつ)パフォーマンスもやってくれるらしい。そういう「なにそれ」なことに本気な素敵な人たちが世の中にはいるものなのだ。



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連休最終日
2010-05-05 Wed 05:31
あったかくなってきましたね。

昨日まで和歌山の古座川へキャンプ&カヤックで川下りに行っていたので、今日はめちゃくちゃに詰め込んだ55Lザックの荷解きをしーの、久しぶりに使った寝袋を日干ししーの、洗濯物をしーの。それにしても、この連休中はずっと天気が良くてすごかったな。さて、五月に入って日も長くなったし、ちょっと車がうるさいけど窓を開けていてもちょうどいいぐらいの気温で、なんだかもう夏の夕方みたいなのどかさだ。

はああ、しかし気分が晴れません。自分のために、将来のために、というか自分が選ぶと決めた将来のためにしなければならないことがあるのですが、それがどうしても手につきません。それを選ぶなら必ずやらなければならない→しかしなぜか始められない→やらない理由を延々と自分で自分に言い訳し続ける→でも現状を変えるためにはやっぱりそれを選びたい→それを選ぶなら…(振り出しに戻る)。ああ、ループする世界。逃避からの逃避。鏡合わせの部屋。無限に繰り返す虚像。一歩も動けない実像。いっそ光がなければどっちも見なくて済むのに…。そんな自滅的な状態が1ヶ月以上も続いていて、このままで手に入るものも手に入らなくなるだろう。

時間っていくらでも無駄にし続けられるんだな。



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運と能
2010-05-01 Sat 03:31
司馬遼太郎の初期に雑誌で発表された単行本未収録短編を集めた『侍はこわい』(光文社)という短編集を読んだ。どれも司馬さんらしいのだが、二編目の「豪傑と小壺」が含蓄に富んでいて面白い。剛力の大兵・稲津忠兵衛の話で、主人である細川家の松井佐渡守に愛され、稀代の豪傑に違いないと周囲から期待を集めた若武者だったが、とことん出世運に恵まれずに死んだ話である。

この中で、人間の運と能に関しての佐渡守の持論が語られる。「鬼佐渡といわれたこの男ほどに戦さの場数を踏んでくると、人間生活のすべての現象が運ひとつに見えてくるものらしい。いくら強くても戦場の大混乱の中にまぎれて名ある敵に出合わねば何の武功にもならず、禄高も加増してもらえない。ばかりか、名もない雑兵の放った流れ弾に当ってあえなく死ぬこともあるし、その死骸のそばへ折よく通りかかった敵の雑兵が鎧通しで首を掻いて、運よく士分に取り立ててもらえることもあったわけだ。生涯を戦場で暮らしてきた佐渡は、人間の運不運に対して鋭敏な嗅覚をもつようになっていたし、また運のない武士はいくら優れていても所詮使い物にならぬことを知っていた。」

佐渡守がその剛勇を愛した稲津忠兵衛にはしかし運がなく、やっと巡ってきた石垣原の合戦では一番駈けをするも敵弾に当って気を失ったまま野井戸に落ち、戦が終わるまでそこで伸びていた。味方に引き上げられてやっと起きた忠兵衛は状況を理解すると、「六十余州に、わしほど不運なさむらいがあろうか」と虎のような声を出して号泣した。

忠兵衛が号泣したのにはワケがある。合戦こそが武士の唯一の活躍の場だからだ。合戦前の描写:「敵陣をにらんでいるだれの眼も充血している。欲が戦士たちの血を掻きたてているのだ。首を一つ獲るごとに十石は増える。女房に晴れ着の一つも買ってやれるし、自分には妾の一人も囲えるかもしれぬ。しかも、今日の戦いは天下分目の戦いであるという。『もはやこれで戦いの種は無うなるぞ。手柄を失えば子々孫々までの貧乏ぐらしじゃ。』そういう、自分の運を賭けた緊張感が誰の眼にもギラギラと光っている。」結局はみんな大義名分などではなく、“生活”のために命を賭けている、というお話。



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| 紅炉一点雪 |
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