なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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高すぎる壁
2010-11-26 Fri 07:54
物事に何もこだわりを持たないことは腑抜けとの謗りを免れないが、何かに対してこだわりを持つというのは時につらいことでもある。ここで言うこだわりとは例えば、これが正しいという信念だとか、これが誇らしいというプライドなどだ。信念は日々せねばならない善悪の判断基準となるし、プライドとして自分の家族や出自(民族・国家など)に対して愛着や誇りを持つことはとても当たり前なことだ。これらは、表に出るかどうかの差はあれど、すべての人間にとって生きる上での支えになっていると思う。

つらいのは、それらのこだわりを持っているがゆえに他者とぶつかる場合があることだ。信念なり誇りなりを持つということは、その根拠となる対象とそれ以外を線引きして分けていることと同じだから、信条や出自が違う人間が違う線引きをする以上、争いは避けられない。(しかもその違いは妥協も解決も出来ない。)

自分の拠り所を他者から否定される時の鋭くそして後を引く苦痛というのは、そもそも“そんなこだわり”を持ってしまったがゆえだ。生きる上で支えてもらっている助けと否定された時に負う痛みのどちらが大きいのかは、完全に自分の主観の問題なので見極めようと思ってもなかなか難しい。

他者の信念を否定しなければ自分の信念の正しさを定義できないような場合、他者の誇りを傷つけなければ自分の誇りを保てないような場合、本当にそうするしか方法はないのだろうか。物理的定量に縛られないはずの概念の世界は、そのくせ共に存在しようとすると誰彼もが争わなければならないほど狭いものなのだろうか。(もちろん、その偏狭さから抜け出せていないのは私自身も同じで…。)答えはまだ見つからないが、久しぶりにこだわりを持つことのつらさ(否定される痛み)を経験して、またこの壁に行き当った。


Imagine there's no countries
 It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
 And no religion too
Imagine all the people
 Living life in peace
(John Lennon - Imagine)




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激情の滓
2010-11-21 Sun 08:58
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「チェ 28歳の革命」/「チェ 39歳 別れの手紙」(2008年)

スティーブン・ソダーバーグ監督による計4時間半を超えるチェ・ゲバラの半生を描いた伝記映画。「モーターサイクル・ダイアリーズ」に続く観賞。同じ人物の違う人生部分(あっちは若くて好奇心いっぱいの医学生時代、こっちはゲリラ闘争に明け暮れた革命家時代)を描いているせいか、タッチがものすごく違って戸惑った。

昔、本屋でゲバラ自筆の『ゲバラ日記』を手に取ったが、ぱらぱらと読んでみて、それが詳細な行軍日誌のような内容だというのを知って本棚に戻したことがあった。この「チェ」二部作はあらゆる意味でまさしくその映画化となっており、とことんリアルにゲバラの戦いの日々を体感できるが、映画としての物語性はないに等しい。カストロからの革命戦争への誘い、キューバへの密航、ジャングルでの野営地の建設、新兵の訓練、ゲリラ戦、他勢力との折衝、さらなる戦闘、そしてキューバ革命の成功。革命後にニューヨークでゲバラが辛辣なアメリカ批判を展開した国連演説のシーンが織り混ぜられるが、それ以外に彼の思想をくみ取ることはできない。あの熱血な医学生がどうやって革命戦争への参加に至ったかなど、ゲバラという(優秀なゲリラ司令官としてではなく)人間の軌跡が見たかったのに、これでは不満である。あと、画面に出て来る人物がみんな「野戦服・あごひげ・葉巻」なので、どれがゲバラでどれがカストロかを探すのが大変だった…。

話は飛んで、演出が一番秀逸だなと思ったのは最後のボリビアでの処刑の場面で、緊張して何度も銃を握り直す執行役の兵士に向かって、「撃て、やれ」とゲバラが言う。一発目の銃声が響くと、ゲバラの視点と一体化しているカメラの画面が地面に向かって倒れていき、二発目の銃声でもう一度画面が揺れ、三発目が響く頃には完全に横ざまに倒れている。押し殺した息遣いがかすかに聞こえ、ぼやけた視界には目の前に立つ人物の軍靴だけがうつっているが、やがて視界はさらにぼやけてホワイトアウトしていくのだ。

キューバ革命の時には、革命後のビジョンを持った政治家のカストロがいて、革命を受け入れてくれる国民がいたが、ボリビアではそんな政治者も十分な工作活動もないままゲリラ戦闘を始めたゲバラ。手段にすぎなかった武装闘争が目的になってしまっていることを指摘されても、彼は進軍をやめようとはしなかった。永遠に革命家であろうとしたゲバラは、そこに死に場所を求めたのではなかっただろうか。





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明日はどっち
2010-11-16 Tue 08:09

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私は本や漫画の読みすぎで近視です。現在使っているのは、えんじ色のワイヤーフレームのメガネで、渡米前の2003年の夏にタイを旅した時に、プーケットでメガネをなくしたことに気付いて急遽作ったものだ。それ以来、新宿でもネバダでも亀山でも、かのプーケット・ワインレッド(今即興で名付けた)は私の鼻梁の上に乗っている。

しかし、留学先でメガネを壊して困っていた友人を見て、私も予備のメガネを作っておこうと日本に戻った時にシルバーのプラスチックフレームのメガネを作った。(そっちは橋本の駅ビルで作ったのでハシモト・シルバーと名付けよう!)しかしプーケット・ワインレッドは7年を超える使用歴を誇りながらも頑張ってくれ、ハシモト・シルバーの出番は未だにない。

それはそれでもったいないなと思い、今日はハシモト・シルバーをかけて会社に行った。プーケット・ワインレッドよりも矯正度数が若干強めで、スタイリッシュな楕円レンズは上下方向の視野角(液晶テレビの専門用語です。笑)がちょっと狭いが、髪の毛切りたてで会社に行く時のようなちょっと照れくさい気持ちで人に見せたりしていた。

ま、特にオチはないのですが。しいて言えば、『銀魂』のさっちゃんが「ニンジャ~メガネ!必殺技は“メガネがないと明日も見えない”!」なのだが、なんつーか、メガネがあっても明日が見えません。





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消灯令
2010-11-13 Sat 07:03
(Mixiニュースより引用)
寝る時は真っ暗にして寝るか、電気をつけて寝るか。これは各人の睡眠習慣に根ざした問題で、共同生活においてその不一致が見られる時には、お互いを許容できずに殴り合いのケンカも起こりかねない。この記事の調査では、「電気を消す派 28票」対「消さない派 13票」だったらしい。約7割の人が真っ暗にして寝るという。

私は真っ暗にしないと眠れない派である。あの小さな豆電球がついていても気になる。かつてサンフランシスコ~成田の飛行機で、疲れていたのにシートベルトサインの小さな明かりが気になって眠れなかった。(しばらくたって機体が安定し、シーベルトサインが消えたら眠れたのでそういう結論に達した。)また、中学生の時にテニス部の合宿で旅館に泊まり、多数決で「電気を消さないで寝る」という結論に達した時には愕然とした。そんなんで寝られるか~!と思った。結局、数に勝つことはできなかったので、自分で目にタオルを巻いて寝たような記憶がある。

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いくつになってもワクワクする雑魚寝の夜


しかし、それはそれで思い込みや「眠れないんじゃないか」と思う心理作用もあるのかもしれないと、大人になってからは思うようになった。その証拠に、何もない休日には昼夜が完全逆転した廃人のような生活に陥ることがあるが、快晴の昼間でも日が暮れるまですやすや寝とるやんけ!…そう、人間の限界とは自分で決めていることも多いのだ。

また記事では、「一番寝やすいのは、動物的本能として周りを確認できる明るさ(月明かりくらいの明るさ)が良い。本当に真っ暗だと人間や動物は眠れない。もし真っ暗でしか眠れない人は、動物的本能のその部分が退化したということ。」というコメントがある。退化しようか何しようが、安らかに眠れることが第一じゃないだろうか。





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言い訳しよう
2010-11-10 Wed 08:22

テレビの番組を作るプロデューサーは、いい視聴率が取れると「数字が番組の良さを証明している」と“量の理論”をかさにきて廊下を堂々と歩き、逆に視聴率がわるくても「数字は取れなかったが質の良さを分かってくれる人はいた」と“質の理論”を用いて自分に言い聞かせるらしい。

世の中には色んな価値観があって、それぞれが同時には成立しない盾と矛の関係だったりするのだが、こうして一つが他方の価値観を補う言い訳にもなるとは、よくできているものである。





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婉曲の美
2010-11-09 Tue 06:08
NHKニュース9の報道より。今後、日本企業の海外進出が加速し、今までは日本人社員を出向させて事業を管理させることが多かったが、これからは積極的に現地社員を採用し幹部として登用していくという。画面は、中国やアジアで行われる企業説明会に企業の執行役員と人事部長が直接足を運び、面接している様子。応募者も、金融のスペシャリストや日本語を含む複数の言語を操るなど有能な人材が多い。

次の場面で、その人事部長が採用を決定した応募者に電話をかけている。

「え~基本的には合格ということでですね、え~決めさしてもらいましたので、え~そのように理解していただいて結構ですので。」


言い方がまだるっこしいわっ!


ちょっと!そこはグローバルにはならないの?英語にしたら「You passed.」の二語だよ?はっきりしないビジネスマンの三種の神器である「基本的に」・「一応」・「ちょっと」の口癖が抜けてませんけど。…いや、むしろこれは婉曲さを重んじる美しい日本語として守っていくべき文化なのか。(←むりやり発想の転換)





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リラックスの果て
2010-11-08 Mon 08:18

 心身のリラックスは、まず日中にたっぷりと太陽に当たり、適度な運動をすること。そして夕方にはゆっくりとお風呂に浸かり、瞑想をする。七時以降の飲食は避け、寝る前にはイメージトレーニングを行う。体が心地よく感じられたら、ヒーリング音楽を聴き、お香を炊いて、眠りにつくとよい。


ある小冊子で見かけた「リラックス法」である。お風呂、瞑想、イメージトレーニング(何について?)、ヒーリング音楽、お香と、とにかく癒されっぱなしのライフスタイルである。(とりあえず時間的に全部やるのは社会人にはムリですね。)毎日こんな暮らしができたら、そのうち仙人になれるんではないだろうか?

ただ困ったことに、人間の感覚というは相対的だ。灼熱の砂漠で一杯の水があったらどれだけのお金を出しても買うかも知れないし、歩き疲れて足が棒のようになっている時に座って休めたら(その瞬間は)それだけでもう何もいらないと思える。逆に寒い時に水を出されてもありがたくはないし、長時間の飛行機で座り続けていることは苦痛だ。

幸せというのはケース・バイ・ケースなのだ。しかし共通点が一つあって、同じ状態に対して幸せを“感じ続ける”ことが難しいということである。絶えず変化がなければ、それによって別の比較対象と相対的に評価しなければ、幸せを定義することができない。だから、上記の仙人暮らしを死ぬまで毎日やれと言われたら、それはもう牢屋暮らしとそう変わらないものになるだろう。





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空高く
2010-11-06 Sat 08:09

秋です。最近行った場所を簡単に紹介。

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御岳山(3067m)登山。空気が澄んだ高い山に来ただけで、遍在する神の存在を感じるというか、そこが聖地であるかのように思える感覚というのは想像できる。だから、山岳信仰(ここでは御岳教)が盛んなのはよくわかる気がする。


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滋賀県・土倉鉱山跡。“つわものどもが夢のあと”ではないが、かつて何千人もの労働者とその家族で栄えた場所が、今は山の中の廃墟(一見すると古代遺跡のよう)というのは、放課後の学校の静けさに感じられるような不思議で切ない気持ちにさせられる。


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長野県・御岳の麓にある自然湖でのカヤック。水面から見上げる岸壁や紅葉、そしてこの自然湖に独特の水から突き出した枯れ木と水の下に続くその木の幹はとても美しい。さすがに秋も深まって、湖面を渡る風は冷たい。


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長野県・唐沢の滝と紅葉。カヤックの帰りに寄った名所。精一杯息を止めてがんばって撮ったが、夕暮れ時の光線が少ない時だったのでやはり少しブレてしまった。芭蕉だったらここで一句ひねらなければならないところ。


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奈良県・曽爾高原のススキヶ原。風に揺れる秋の七草は、太陽にかざして見ると黄金色に輝いた。「ススキなんて昔は空き地にいっぱい生えてたのに、今はこうやって見に来るんだからすごいよねー」とはメンバーの談。





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The Motorcycle Diaries
2010-11-04 Thu 08:45

「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)

スペイン語映画で初めてのアカデミー賞受賞作。23歳の医学生エルネスト・ゲバラ(のちのチェ・ゲバラ)が年上の友人で生化学者のアルベルト・グラナードと、バイク一台で南米大陸を旅するロードムービー。細部まで実話で、グラナードの著作『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』がベースとなっている。

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“怪力号”とあだ名された自慢のバイク(ノートン500)はしかし二人の酷使により道半ばでスクラップとなり、そこからはヒッチハイクと徒歩の旅になる。アルゼンチンを出発して、チリ、ペルー、コロンビア、ベネズエラと南米大陸を縦断して約12000kmを旅し、その間に人々の貧困を目の当たりにし、最後にハンセン病施設(ゲバラの専門分野だった)に逗留して治療を手伝う。雪山、砂漠、鉱山、マチュピチュなど南米の絶景が見られる。

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若きゲバラはとても生真面目で、食事と宿を世話してくれた博士(二人がその家の牛乳を盗み飲みしてたのに…)が書いた小説の感想を求められて、お調子者のグラナードが「正直に言ってこれほどの傑作は読んだことがありません!」とおだてている横で、「表現が陳腐でひどく、読むにたえない」と真面目な顔で返すあたりは象徴的。やはり稀代の革命家となるべき人物に、サラリーマン的素質を求めてはいけないのであった。

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面白かったのは、ローカルの新聞社に(どうやったのかは知らないが)自分たちを売り込んで記事にしてもらい、「自分たちは著名な医者だ」とその新聞を見せてはタダでバイクを直してもらったりしていたこと。エンドロールで当時の実際の写真が流れるが、そこにその時の新聞記事があるのに爆笑。それっていわゆる詐欺です。

最後、ベネズエラに残るグラナードが小型機で帰るゲバラを見送り、「チャオ、アミーゴ!」と声をかけるが(字幕は「さらば友よ」)、その軽々しい語感に反して、半年間の苦労の多い旅を共にした語り尽くせぬ友情が込められているようで、耳に残る一言となった。





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東木監督の異才
2010-11-01 Mon 08:39

DVDを3枚/週ぐらいで借りて映画を観ているが、最近立て続けに暗い映画に当ってしまった。観賞順に「グラン・トリノ」、「ミリオンダラー・ベイビー」、「ミスティック・リバー」である。そこそこ映画を観ている人ならばもう共通点がわかっただろう。3つとも巨匠クリント・イーストウッドが監督・製作した作品だ。(借りた時は特に気にしていなかった。)

「私は映画に涙を求める」と人に語ったことがあるが、それはたとえば困難の中でもあきらめずに希望を見出す強さとか(中国「あの子を探して」)、過去のあやまちを悔いて己を罰する潔さとか(アメリカ「戦火の勇気」)、与えられた苦痛を乗り越えて相手を許す寛容さとか(チェコ「この素晴らしき世界」)、自分の人生を俯瞰する強さを持った者が自ら滅びゆく美しさとか(イタリア「海の上のピアニスト」)、そういうのがいいのである。

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「グラン・トリノ」「ミリオンダラー・ベイビー」「ミスティック・リバー」は、悲劇が悲劇を呼ぶやるせなさ、それぞれのあがきが結果を悪化させていくどうしようもなさ、そして罪のない人間が容赦なく不幸に陥る救いのなさと、私の苦手な展開が三拍子そろっていた。もちろん後味は最悪である。観ている途中からもうイヤ~な予感がして、そういう展開になることへの恐怖にさえ駆られていたが、「映画は必ず最初から観る」「始まったら最後まで観る」というマイルールにより結局は全部観てしまった。

…口直しに銀魂のギャグ話でもみよっと。(←寝ろよっ)




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