なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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大量処分
2011-01-27 Thu 21:55

おとなりの愛知県にある養鶏場で鳥インフルエンザの感染が確認され、15万羽の大量処分が始まったというニュースを見た。去年は宮崎県の口蹄疫が大きな問題になって、多くの家畜が処分された。その時に印象的だった報道があって、それは殺処分対象の牛にワクチンを打っているという説明だった。

どうして殺処分が決まっている牛にワクチンを打ったのか。それは、処分対象の牛の数が多すぎて、すべての牛を処分し終えるのに1~2週間はかかるためだった。口蹄疫には潜伏期間があって、正常に見える牛もすでに感染している可能性がある。発症している牛はすぐに処分されるが、潜伏期間にある牛が殺処分を待っている間に発症して感染を広げないために、完治はしないが(発症を抑えて)感染拡大を止めることができるワクチンを打つことになったのだ。

あと少ししたら殺されることが決まっているのに、そして決してその個体のためではない目的で、ワクチンという治療を与える。なんだかそれが、ただ殺すよりも残酷なことに思えたのだった。





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たからくじ
2011-01-20 Thu 22:00
宝くじを買ったことはありますか。


dream2009.jpg
ドリーム、まさにドリーム


先日の東京出張で浜松町駅前の雑踏を歩いていた時に、暗くて寒い冬の夜にまぶしい蛍光灯の明かりを振りまく宝くじ売り場にふと気が向いて立ち寄り、1枚100円の第2128回東京都宝くじを連番で10枚買った。初めての宝くじ購入で、「連番がいいですか、バラがいいですか」と聞かれたのを「普通は皆さんどうするんですか?」と聞き返して、普通は下1ケタの末等当選があるため連番が多いと聞いてその通りにした。

宝くじは不思議なもので(ギャンブルとは概してそういうものだが)、ただ買っただけでなんかもう当たったような気分というか、当たったらあれをしようこれをしようと妄想ノンストップ状態になる。特に初回購入だから、いわゆるビギナーズラックで100万円ぐらい当たりそうな気がしてくる。

さて、今日はその抽選日だった。帰ってからわくわくしてネットで当選番号を見たが……当たっているのは下1ケタの末等(100円)のみ。わー、お約束ー。ビギナーズラックはありませんでした。


あと、リンクフリーの面白いサイトを発見。
ジャンボ宝くじ模擬実験

ひたすら宝くじを買い続けた場合に何等がどれくらい当たるかを示したシュミレーションで、無造作にくじ番号を引き続けて実際の当選番号と照合したもの。なんと100万円使った時点で収支は84万円の損(つまり当たったお金は16万円程度)、300万円使った時点では255万円の損となってしまった。当たらんじゃないか、宝くじ!\(`Д´)/




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亀山の
2011-01-19 Wed 23:31
時代小説から小ネタを発見。

今、北方謙三の『草莽枯れ行く』(集英社文庫)という長編の幕末ものを読んでいるが、清水の次郎長と黒駒の勝蔵というやくざ同士がやり合う喧嘩のシーンがある。次郎長の縄張り(静岡の清水)に入って来た因縁の相手である勝蔵を、次郎長が子分を一人だけ連れて長脇差(いわゆる長ドス)を持って街道で待ち構えている。


笠で顔は見えないが、勝蔵だった。
次郎長が道に出ていくと、勝蔵は足を止めた。
「清水に来るとはいい度胸じゃねえか、黒駒の」
「黙って通そうって気はねえんだろうな、清水の?」
「なら俺はここで待ったりはしねえよ」
「そりゃそうだ」
勝蔵が、長脇差を抜いた。本気でやり合う気だ、と次郎長は思った。
(251ページ)


もちろんこの本の内容も描き出される幕末の空気も好きなのだが、このシーンで私の目が行ったのは、やくざたちがお互いを「清水の」「黒駒の」と呼び合っていること。ハガレンの某暴れ馬大佐が主人公を「手伝った方がいいかね?鋼の」と呼んでたのってこういうところから来てるのか!と頷くことしばし。どうりで講談っぽいというか、古臭い感じがすると思った。それじゃ私も「亀山の」と呼ばれ…たくないな、やっぱり。







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がらくた
2011-01-16 Sun 23:23
私は「いつか何かに使えるかもしれないじゃないか!」という信念のもと、何でも取っておくのが好きである。今もっぱら取っておくのは食品が入っていたトレイとか箱とかだが、実家の押入れには小学校時代の「お知らせ」の紙に始まり、実に雑多なものが取っておいてある。

さっき、ひと巻のラップを使い終わって、その芯を捨てるかどうか考えていた。ネットになら活用法が紹介されているのではないかと思って検索すると、一番上に出たページには…


 質問:
 ラップの芯を捨てきれないのですが、皆さんは捨てていますか。
 それとも何かにリサイクルしていますか?

 ベストアンサーに選ばれた回答:
 そんな事してたら、家が片付かなくないですか? 
 ゴミで新たなゴミを作り出すのはやめた方が良いと思います。


一刀両断でした。





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外国にいる意味
2011-01-12 Wed 20:57
以前に引用した西尾幹二氏の本から。若い頃(1960年代)にヨーロッパを旅して回っていた西尾氏は、ドイツのライン河の船下りをしていた時に、実直そうな初老のドイツ人夫婦と知り合う。定年退職の記念で旅に出た彼らは日本からの旅人に、「私たちは外国はおろか、ドイツ国内も旅したことがなかったのですよ。あなたはパリにもアムステルダムにも行ったのね。羨ましいわ。私も一度パリへ行ってみたいわ」と、憧れるような眼差しで語った。これを聞いた西尾氏は驚く。日本人である自分のパリ体験やアムステルダム見聞を羨望する“ヨーロッパ人”がいる、ということが俄かには信じられなかったのだ。

「この夫妻の言葉は、私が異国を体験していることの持つ意味を、根底から否定する力を持つように思えた。なぜなら、人間は自分の生まれ故郷、自分の育った村や町のなかで生涯を送って疑いを持たないことが一番自然であり、確実であり、かつ内容的に最も豊穣で幸福だという現実を、ドイツ人夫妻は私の目の前で身体全体で表現していたからである。私はアジア人のくせに夫妻よりたくさんのヨーロッパを見ている自分の位置に、(中略)旅の経験とか異文化体験といったものの底の浅さを意識せざるを得なかった。」
(「学生気質の変貌」/『新潮』90年9月号掲載)

私も同じ経験をしたことがある。留学中、冬休みはボストンとニューヨークに行っていたという話をすると、大学のバイト先のボス(50代のアメリカ人)は「どっちも行ったことないね」と肩をすくめ、私も驚いた反応を返したのだった。

それよりも、この経験から西尾氏が導き出した意見が、(日本という海外で育ち今なおそこに暮らす)私の心の奥にあった気持ちをストレートに射抜いた。その通りだ、「生まれ育った場所で生涯を送って疑いを持たないことが最も幸福」に違いないのだ。それは自分にとってもはや二度と手に入らないものだから、ものすごく眩しい宝物にうつる。どんなに広い見聞も、その意識すらされない幸福の前では浅はかなものとなる。それを思うと、道しるべなき荒野をあてなく歩いているような気分になるのである。




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言い換え
2011-01-08 Sat 23:21
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  しばいぬ (京都・嵯峨野)



日本語は創造力に富んだ言語だ。最近知った言葉…「自宅警備員」。そういえば、この言葉が流行ったらしい2006年にはまだアメリカにおったけんね。警備員といえど、セ○ムの話ではない。いわゆる引きこもりやニートのことだが、「我々はただのごくつぶしではない!自宅(or自室)の警備を行ってるんだ!」と正当化して、あるいは自虐的に呼び始めたものらしい。『雇用主は親、報酬は住居と食事、夜間専門12時間労働、家事のたぐいは業務外』というネット上の親切な説明を見るにつけ、「言い換えたら何にでもなる日本語ってすごいな」と実感する。読書で夜更かしして、今日は起きてカーテンを開けたら鈴鹿山系に沈んでいく夕日しか見られなかったが、こりゃ自宅警備にさえならんかったな~という話。



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  お賽銭 (京都・嵐山)





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The Last Dive
2011-01-06 Thu 00:01
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“The Last Dive” Bernie Chowdhury著
(邦題『沈黙の海へ還る』 光文社文庫)

実在したダイバー、クリス・ラウス父子の並はずれたダイビングへの情熱と数々の冒険、そしてさらなる高みを目指して水深70メートルに沈む謎のUボートへ潜降し、減圧症によって命を落とした悲劇を描くノンフィクション。著者自身が減圧症の経験を持つダイバーで、父子とも親しかった。淡々とした語り口なのに余韻が深く、本書の描く情景を思い浮かべると涙が出そうになる。

海のないネバダ州にありながら、私は体育の授業の選択項目にあったのでダイビングのクラスを取り、レイクタホの冷たい水に凍えながらCライセンスを取った。しかしそれからは機会がなくて一度もダイビングをやっておらず、(普通ダイビングするであろう)暖かくて魚のいっぱいいる南の海には一度も潜ったことがないままだ。本書で果敢なダイバーたちが挑むのはまさに「ダイビングのエベレスト登山」で、入り組んだ海中洞窟、障害物だらけの沈没船、そしてダイビング協会が水深40mまでと規定したのをはるかに超える水深90mに及ぶ大深度ダイビングと、そのまさに命をかけた冒険には目を見張るばかりだ。

大深度ダイビングは、水深10mかそこらで熱帯魚を見るのとはわけが違う。深く潜るほど水は冷たいし、光は届かない。呼吸によって取り込んだ窒素から「窒素酔い」を起こして正常な判断力を失うし、かといってタンクの中の酸素濃度を高めると酸素中毒によって激しいけいれんを起こす。減圧症(ベンズ)とは、水圧の高い深海で吸った空気中の窒素分子が血液中に溶け込み、浮上して水圧が減ったことでそれが元の体積を取り戻し、窒素の気泡が体中の血管を詰まらせるというものだ。それを防ぐためには、例えば深い水深に30分間潜った後に浅い水深で.3時間ただ待って(減圧停止)身体から窒素を出すしかない。

著者もラウス父子も、減圧症にかかった経緯は同じだった。大深度の沈船(Deep-water Wreck)へ潜り、窒素酔いによって何らかのトラブルが起きて体力と空気を消耗し、さらには海底に置いた減圧停止用の空気タンクを見つけられなくなり、減圧停止を行わないまま水面へ浮上するしかなくなった。海中にいて空気が尽きれば溺死するしかないが、減圧症はすぐに高圧室治療を受けられればまだ生き残る可能性があるからだ。著者はそれによって生き延びたが、ラウス父子は父クリスが浮上後の海面で、息子クリシーが高圧室の中で命を落とした。司法解剖でクリシーの心臓を水中で開くと、血液ではなく気泡の塊が出てきたという。その気泡が液体に満たされていないとポンプの機能を果たさない彼の心臓を止めた。そして、それが彼らのラスト・ダイブとなったのである。





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年始め
2011-01-04 Tue 23:31
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うちのベランダから見た初日の出


2011年 あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いします。 m(_ _)m



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1月1日は富士浅間(せんげん)神社へ初詣

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さすがは「三国第一山」という名刹


さて、定番のおみくじを引いたら、運勢は大吉。しかし細かい項目を見ていくと…。「待人:支障があって来ない様です」 「失物:出にくいです」 「商売:買うのはよくありません」 「争事:時がたたないと勝てないでしょう」 「転居:いかない方がよろしいでしょう」 「縁談:親類のさまたげがあってすぐにはまとまらないでしょう」

運勢こそは大吉だけど、各方面ではとにかく慎重に行動するようにといった感じ。「それって大吉っていうのかしら?」と思いつつ、そうしようと思った2011年であります。





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