なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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ルー=ガルー2
2011-10-31 Mon 23:45
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例によってどえらい厚さ!


前にレビューした「ルー=ガルー/忌避すべき狼」から10年ぶりに書き下ろされた続編、「ルー=ガルー2/インクブス×スクブス 相容れぬ夢魔」が出された。めちゃくちゃ楽しみにしていたのはもちろん、もはや本当に出たこと自体が夢のような続編なので、私には珍しいことに発売日に買いに行った。分厚いレンガ本を書くことで有名な京極夏彦氏の中でもマイナーなシリーズの作品なので、おそらく知っている人も読んだ人もあまりいないだろうが、読んだからにはレビューしましょう。でも登場人物を伏せて書くのは難しいので、ネタバレしてもいい前提で書きます。

メジャーな方面のレビュー(美緒の活躍がひたすら爽快だとか、鍵となる毒というのが京極堂シリーズの『邪魅の雫』とつながってるやん!とか)は既出なので、気になった一点のみ取り上げる。それは、物語の核心ともいえるルー=ガルーの名を背負った14歳の少女のこと。ルー=ガルー(loup-garou)はフランス語で狼男を指し、作中では「行き遭った者を屠る」という前置きがついて、要するに殺人者のことである。

この少女はこの上なく賢くて理知的であるにも関わらず、「手にナイフがあって、目の前に首があって、上に満月があって、“ああ、今だ”と思って、気付いたら相手を殺してしまった」という想像しにくいキャラクター性を与えられていて、一作目では己の罪を模索して悩み苦しむ様子が描かれる。(というか、京極夏彦のミステリー作品では、どれも通常の理由ではない殺人が登場する。金銭がらみだとか痴話喧嘩だとかいう俗な理由は絶対出てこない。そのせいで、現実世界が舞台であってもファンタジー性の強い印象が残る。)

ところがこの二作目では、その少女は(色々その場での理由があるにせよ)さくさくと大量殺人をやってのけ、しかも警察部隊の手に負えない敵の強化人間が束でかかってきても、苦もなくバッタバタ倒していくほど強い。そんな大暴れをした後に、「刑事さん、今度こそ僕を裁いてください」「相手が誰でも、殺してはいけないでしょう」と懇願するが、まったく統一性がなくてしっくりこない!あー、大事なところだけにもやもやするっ。





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青年なき国
2011-10-27 Thu 01:52
intothewild.jpg
青年=反抗者=ダメ人間? (映画「Into the Wild」)


日経ビジネスオンラインでコラムニストの小田嶋氏が「青年がいなくなった日本と欧米のデモ」という面白い記事を書いていた。記事は、欧米で頻発している反格差デモがどうして日本では起こらないのかという疑問から始まっている。(正確に言うと数百人規模のデモは起きたようだが、社会的影響度はなかったに等しい。私が昔行ったイラク参戦反対デモには4万人の参加者がいた。)

その理由は、日本が「青年なき国」だからだとしている。ここでいう青年とは、年齢ではなく"人生の意味を模索し、真実を求めて煩悶する存在"、そして"規制の秩序に反発する存在"を意味する。そんな青年の概念は、明治時代に漱石や鴎外みたいな人たちが西洋の文学や哲学を取り入れる時に一緒に導入した舶来品だった。しかし実際にそんな青年になれたのは、いわゆる高等遊民といわれた当時の旧家のお坊ちゃま帝大生ぐらいで、一般庶民に定着することはなかった。

デモ(社会運動)を組織し参加する人間は、社会と正面から対峙していなければならず、かつ社会に飲み込まれていてはいけない。しかし日本の学生や若者は、社会と対峙することを放棄して内向的なモラトリアムの中で暮らすか、さっさとおっさんになる決意を固めて社会に飲み込まれるかのいずれかを選択しなければならず、独立した「個」として社会に反抗する青年にはならない。端的に言うと、子供からそのままおっさんになるのだ。

これがいいことかどうかの判断は簡単ではない。私にはこの記事の指摘する精神構造論が面白かっただけだし、それが今の日本の抱える問題を解決しにくくさせているのだとしても、この方式での集団戦闘力によって(私たちの世代が享受している)繁栄と国際的地位を築き上げてきた人々の功績を否定してはならないからだ。あとは、私たちが後の世代にどんな功績を残せるかである。





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27歳
2011-10-25 Tue 23:41
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旅の途中 with 久し振りに再会したスパシオ


のおー、27歳になってしまったー。

最近遊びすぎてブログさぼってるし。
時間とエネルギーが無限にあればいいのに!
でも有限だから大事にできるのかもしれぬ。

大阪での誕生日は、残業でヘロヘロでした。
帰ってから飲む元気もないぐらい…。
でもいいんです、いつも飲んでるから。
今日はここに在ることに感謝する日です。





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休肝日調査
2011-10-11 Tue 23:10
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"got beer?" Beer Opener


亀山にいた時は、コンビニ一つ行くにしても車を運転しなければならず、おちおち飲んでいられなかったが、大小の飲み屋が軒を連ねる大阪に引っ越してから、確実にお酒を飲む機会が増えた気がする。そこで、家・店を問わずその日にお酒を飲んだかどうか、一か月以上に渡る追跡調査を実行した。カレンダーに○×をつけるというやり方で、今日までの32日間のデータを一挙公開!

< 曜日 飲んだ日 % >

  月   4/5  80%
  火   1/5  20%
  水   4/4  100%
  木   1/4  25%
  金   1/4  25%
  土   2/5  40%
  日   4/5  80%

  合計  17/32 53%

調査期間は32日間、そのうち飲んだ日が17日間で、53%という実績。(意外に)半分ぐらいちゃんと休肝日してるじゃん!というのが私の感想である。飲んだ日あるいは飲まなかった日が続いたのは、どっちも最長で3日間。3日続けて飲んだのが3回、3日続けて飲まなかったのが1回あった。あとは、1~2日おきぐらいにほどよく織り交ぜられている。

意外だったのは、ハナキンと呼ばれる金曜日や次の日休みの土曜日にあまり飲んでいなくて、日曜日から月曜日にかけてなぜか調子が上がって行き、火曜日は「そろそろ休肝日しなきゃ」と制限するものの、週の中日である水曜日には飲酒率が100%をしめることである。

これには理由がある。まず、金曜日にあまり飲んでいないのは、最近三連休が多く、三連休になると遠出して山登りなどに行ったりするので、仕事を終えてから直行で前乗りして短時間の仮眠しか取らない金曜日はあまり飲む機会がなかった。また、水曜日が飲酒率100%を誇るのは、今勤務している本社では水曜日が“ノー残業デー”で、「どっか飲みに行くならこの日に」となりやすいからである。都会ってサイコー。

お酒は楽しくほどほどに、ですね。





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不信心者
2011-10-01 Sat 01:07
My Chemical Romanceなるバンドの「Welcome To The Black Parade」という曲が、アメリカにいた頃によくラジオでかかっていた。ゆっくりとしたプロローグから始まって、歌詞にある通りそこは軽やかなマーチングバンド風の伴奏になっていて、このプロローグが終わってからロックになる。いつも聞いていたせいか、今でも好きな曲だが、歌詞でどうしても気になる箇所がある。

When I was a young boy,
My father took me into the city
To see a marching band.

He said, "Son when you grow up,
would you be the saviour of the broken,
the beaten and the damned?"

He said "Will you defeat them,
your demons, and all the non-believers
,
the plans that they have made?"

"Because one day I'll leave you,
A phantom to lead you in the summer,
To join The Black Parade."


下線部である。父がある日幼い息子を連れて街に行き、マーチングバンドを見せる。そうしながら言ったのが、「大きくなったら、傷ついた者や打ちのめされた者を救いなさい」、そして「悪魔と神を信じない奴らを打ち倒しなさい」ということ。いやー、打ち倒せってアンタそんな、たとえあなたたちの神を信じていなくても(というかたぶん知らなくても)それは同じ人間なんですよ?

『ヘルシング』という漫画でも、アンデルセン神父が子供たちに「ケンカはやめなさい!…いいですか?暴力をふるっていいのは悪魔と異教徒だけです」と優しい笑顔で諭す場面があったが、まったく同じ発想である。暴力は時に敬虔なる信心から生まれる、ということを知った。





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| 紅炉一点雪 |
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