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人間の偽善
2008-09-29 Mon 01:03
仕事中に観た、BSでやっていたドキュメンタリーについて。

フィンランドに、「熊のカウコ」と呼ばれる猟師がいる。5歳から始めて43年間に渡る狩人生活の中で森の王者・ヒグマを8頭しとめ、番組の中で9頭目をしとめた。フィンランドの狩人にとって、ヒグマは”肉という贈り物を持って天から遣わされた使者”であり、人々はその肉に感謝をささげ、きれいに洗った熊の頭蓋骨を松の木の枝にかけて熊の魂を天国に送り返す。森に入る時、猟師たちはこんな歌を歌う。

「私はお前の命をもらう
申し訳ないが仕方がないのだ
お前は私たちの世界にやってきたのだから
私はお前の鼻を食べてお前の鋭い嗅覚がほしい
私はお前の耳を食べてお前の優れた聴覚がほしい」

熊のカウコは、しとめた9頭目の熊の頭蓋骨を高い木の枝にかけた。

「良かった。これで熊は天国へ帰った。熊を撃つというのはその存在を終わらせる事だが、もともと天から来たのだから天へ返してやるのだ。それが生き物の輪廻であり、自分もその中にある。私はただのハンターじゃない。」
(解説)「熊のカウコは、自然への感謝を忘れない昔ながらの生き方を実践しているのです。」

以下、その番組の感想について。

・ヒグマが人間にとって”肉という贈り物を持って天から遣わされた使者”だというのなら、強盗にとって現金輸送車は”現金という贈り物を持って銀行から遣わされた使者”になってしまうではないか?こんな都合の良い考え方があるだろうか?

・歌にある「お前が私たちの世界に来たのだから」という言い分は、「神はこの世界を人間に与え、そこに生きる獣を好きにして良いと言った」というキリスト教の究極のジャイアン的理論の体現ではないか?それのどこが自然への感謝なのか?

・どれだけ感謝をされても熊にとって殺された事は同じであり、母親を殺された小熊が飢える事になるのは同じではないか?

・現代社会で熊を狩る意味はあるのか?熊しか食べていないというのなら43年間で8頭じゃ足りないし、そうじゃないのなら何のために熊を殺すのか?(これは同時に、ならば熊を殺さないで人間が食用のために養殖した他の動物の肉を食べるのはいいのかという問題にもなる。)

弱肉強食は自然の法則だし、他の生き物の命を奪って己の生存に必要な分の肉を得るのは当たり前のことだ。しかし人間はそこに理屈をつけたがる。それが当たり前のことを偽善にしていて、何だかすっきりしなかった。


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コメント
★ 食肉
何かしら理屈をつけないと罪悪感を感じるんじゃない??そして罪悪感を感じる人は菜食主義者になるんだよ、きっと。熊だけじゃなく、豚、鶏、牛を食べる人も一緒だよね。パックに詰められた食肉を見てもそこまで心が痛まなくても、実際に食肉加工場で動物が肉にされる過程を見たら心が痛むんじゃない?結局は人間のエゴさ。このあいだ、偶然それ系のサイトを見たのでコメントしてみました。相変わらず、肉は食べてますけど。
2008-09-30 Tue 02:50 URL | Dora #-[ 内容変更]
Doraさんへ

実際、同じような文化をアイヌの人々も持っていたし、昔にそういうのを紹介したドキュメンタリーを見た時はなんだか感動していたものだが、今回の「熊のカウコ」を見ていてどうもこういう事を考えちゃったんだよね。

殺した熊に感謝をささげて祭り、挙句の果てには「熊は肉を土産に天から遣わされた使い」なんて人間側の都合しか考えていない理屈をくっつけるよりも、これが自然の掟だから(他の生き物を食べて生きる事と必要な分しか狩をしない事)と割り切る方がまだ筋が通るし、堂々としているんじゃないかなって。

まあ、私もやっぱり肉は食べるんだけどさ。人間は雑食だからと割り切って。

2008-10-01 Wed 01:18 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
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