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運と能
2010-05-01 Sat 03:31
司馬遼太郎の初期に雑誌で発表された単行本未収録短編を集めた『侍はこわい』(光文社)という短編集を読んだ。どれも司馬さんらしいのだが、二編目の「豪傑と小壺」が含蓄に富んでいて面白い。剛力の大兵・稲津忠兵衛の話で、主人である細川家の松井佐渡守に愛され、稀代の豪傑に違いないと周囲から期待を集めた若武者だったが、とことん出世運に恵まれずに死んだ話である。

この中で、人間の運と能に関しての佐渡守の持論が語られる。「鬼佐渡といわれたこの男ほどに戦さの場数を踏んでくると、人間生活のすべての現象が運ひとつに見えてくるものらしい。いくら強くても戦場の大混乱の中にまぎれて名ある敵に出合わねば何の武功にもならず、禄高も加増してもらえない。ばかりか、名もない雑兵の放った流れ弾に当ってあえなく死ぬこともあるし、その死骸のそばへ折よく通りかかった敵の雑兵が鎧通しで首を掻いて、運よく士分に取り立ててもらえることもあったわけだ。生涯を戦場で暮らしてきた佐渡は、人間の運不運に対して鋭敏な嗅覚をもつようになっていたし、また運のない武士はいくら優れていても所詮使い物にならぬことを知っていた。」

佐渡守がその剛勇を愛した稲津忠兵衛にはしかし運がなく、やっと巡ってきた石垣原の合戦では一番駈けをするも敵弾に当って気を失ったまま野井戸に落ち、戦が終わるまでそこで伸びていた。味方に引き上げられてやっと起きた忠兵衛は状況を理解すると、「六十余州に、わしほど不運なさむらいがあろうか」と虎のような声を出して号泣した。

忠兵衛が号泣したのにはワケがある。合戦こそが武士の唯一の活躍の場だからだ。合戦前の描写:「敵陣をにらんでいるだれの眼も充血している。欲が戦士たちの血を掻きたてているのだ。首を一つ獲るごとに十石は増える。女房に晴れ着の一つも買ってやれるし、自分には妾の一人も囲えるかもしれぬ。しかも、今日の戦いは天下分目の戦いであるという。『もはやこれで戦いの種は無うなるぞ。手柄を失えば子々孫々までの貧乏ぐらしじゃ。』そういう、自分の運を賭けた緊張感が誰の眼にもギラギラと光っている。」結局はみんな大義名分などではなく、“生活”のために命を賭けている、というお話。



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