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一つの解
2010-12-17 Fri 00:09
「高すぎる壁」でも悶々としながら書いたが、身近な人々と国家や民族に根差した政治や歴史の問題(というかすべての歴史は政治抜きには語れない!)で論争に及んでしまって後悔することが多々ある。そういう論争によって双方がハッピーな気持ちでなることは決してなく、ゆえに二度とそんなことはすまいと思っているのだが、油断すると思わぬきっかけでそういう話題になってしまって、またいつもの苦々しい気持ちにさせられる。どうしたらいいのか、ずっとわからなかった。

そこへ、部分的ではあるが、ドイツ研究家・評論家である西尾幹二氏の文章を読んで一つの解を見つけた気がする。文藝春秋『諸君!』1994年1月号に掲載された「歴史とのつきあい方」という評論文だ。ポイントとなるのはヴァイツゼッカー前ドイツ大統領の演説の引用――「民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい、無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。」 言うまでもなく、ドイツは第二次世界大戦でナチスが引き起こした空前絶後の大虐殺の清算という戦後補償問題に向き合ってきた国である。

氏はドイツ人を研究していてこう思ったという。「ドイツの犯した過去の罪を弾劾する若い世代は、自分は罪を犯していないという安心感に立脚して発言している。ナチスの犯した罪に対して、なるほどドイツ民族に政治的責任はあるが、私自身に罪はない――これが平均的なドイツ人の抱いている観念である。政治的責任に対する償いはすなわち金銭しかないという割り切り方が、彼らのいわゆる“戦後補償”の考え方の根底だ。」

続く次の引用が今回の解だ。「これに対し、日本がいつまでも謝罪問題に取り憑かれ、こだわり、感情的な対立さえ国内に抱えるようになったのは、これを政治的責任の問題として割り切って扱えず、民族的一体感に動かされ、戦争に関係のない若い世代までが自分自身の罪、道義的責任の問題としてつい意識してしまうからではないだろうか。そんなに情緒的にならず、我々はもう少し大局から自由に歴史を眺める必要がある。」

「戦争に関係のない若い世代までが自分自身の問題としてつい意識してしま」っているのは、日本に対して歴史問題を持ち出すアジア諸国も同じだ。だからいつまでたっても問題が解決しないのだ。昔のことだから自分には関係ないという態度は厚顔無恥とも取られるが、そういう図太さもなければ客観的に物事を見ることができずに、“民族的一体感”から感情論に走るばかりだ。アジア国家間の感情問題解決に役立つならば、西欧の個人主義に基づいたすがすがしいまでの自己肯定も見習う価値はある。





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コメント
いい評論文だね!
私もゆにんの意見に賛成。

Multicultural Counselingのクラスの教科書が同じような話題を扱ってたんだけど、
過去のWhiteの罪を責めるばかりの内容で辟易した…。
過去を受け止めつつ、そこからどう発展していけるか、変えていけるかが大事だと思うのであります。
2010-12-17 Fri 16:23 URL | まちゃこ #-[ 内容変更]
まちゃこへ

このシリアスな話題にコメントしてくれてありがとう。
触れたくない問題なのに、消えることもないんだよ。

日本では、思想や意見にとにかく右翼や左翼のレッテルを
貼ってしまって、それ以上ちゃんと討論することをしないから
いつまでも感情的な対立が残るとも西尾氏は言っていた。

「西欧のすがすがしいまでの自己肯定」っていうのには
けっこう皮肉も込めてるんだけどね…。
それにもそれの良さがあるのでしょう。


2010-12-17 Fri 22:22 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
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