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豚とソクラテス
2011-02-02 Wed 00:43

"It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied;
better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied."
              John Stuart Mill, Utilitarianism (1863)

「満足した豚よりも、不満足な人間の方が良い。
満足した愚者よりも、不満足なソクラテスの方が良い。」
              ジョン・S・ミル 『功利主義』第二章


19世紀のイギリスの哲学者ミルは、幸福や喜びには質の違いがあると考え、量的にそれを求めるのではなく、より質的に高い精神的快楽を求めるべきだと説いた。それを表したのが冒頭の有名な言葉で、「与えられる物質的快楽に満足して眠る」豚よりも「主体的意識を持って思い悩む不満足な」人間であれ、「現状に満足してそれ以上考えない」愚者よりも「真理を求めて努力し続ける」ソクラテスであれと述べている。(かっこ内は私の理解による補足)

人はパンのみに生きるにあらず。ただ生きるためにのみ生きるのではなく、目的を持って努力を続け、どんなに困難であっても己の使命を果たすために力を尽くせ。そうしようとする者は苦難の多い人生を歩むことになるかもしれないが、それでもそれは何も向上心を持たずにただ安易さに甘え怠惰をむさぼるだけの者より、はるかに意義のある人生となる。


…というあたりまでは、よく言われる内容である。

しかし、最近なんだかわからなくなってきた。満足した豚だろうが満足した愚者だろうが、本人がそれで幸せならば、要するにそれは幸せなのではないだろうか。苦しい思いをして人間やソクラテスであろうとする必要はあるのか。その見返りとしてあるはずの“意義”とやらは誰が保証してくれるのか。「孤高な賢者と幸せな愚者」を現実社会においた場合、多数の人が結果として「幸せな愚者」になるに違いないが、それの何がいけないというのだ。





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<<Time of Your Life | 紅炉一点雪 | 訳文>>
コメント
★ ご無沙汰しております
> 「孤高な賢者と幸せな愚者」を現実社会においた場合、多数の人が結果として「幸せな愚者」になるに違いないが、それの何がいけないというのだ。

満足するということは現状を改善しないということで、そうなると技術や精神の発達が頭打ちになるからじゃないでしょうか。
そういう意味では満足とあきらめは似ている気がします。

今はかなり苦しい時勢なので、幸せな愚者の方が人生楽しいと思います。
知識や考える力があると、「上を見てもきりがない」状態になっていつまでたっても満足できないし、満足している人を見るだけでも負のエネルギーが蓄積されそうな気がします…
(満足できることを妬んだり、自分の境遇を恨んだり、それでも相対的には自分が上だと愚者を見下したり)

でもエジプト情勢を見ていると、満足することが正しいかというと違うと思います。
自分の生活を守れるならそれで良い、ではなく、苦しくても自分の大切な人や次の世代のために、っていう気持ちが今の日本には欠けているのではないかなあ…と思いました。

…何だか話がずれた気がします。
乱文失礼しました。
2011-02-02 Wed 10:12 URL | 花流 #CYdLuodA[ 内容変更]
花流さんへ

お久し振りです。よくいらっしゃいました。(^^)

そうです。満足することとはそれ以上を求めないということなので、結果からすればあきらめることと同義です。ゲーテが『ファウスト』で「人は努力する限り悩む」と書いているけれど、それはつまり「(現状に満足せずにもっと上を目指すという)努力をしないなら悩まなくていい」わけです。

いやー、ぶっちゃけ絶対「幸せな愚者」の方が幸せです。(字面そのまんま)これで十分だと満ち足りることが即ち幸せなのですから、何も考えないで目の前に満足しておけば問題ありません。とりあえず必要なもの(衣食住)には困っていなくて、思考ストップできる状況にありながら、その安楽さに流されることを意志の力ではねのけてあえて苦難の道を選ぶなら、それはもう周りからMっ気の発露だと見なされます。笑

たぶん、世界にはどちらの種類の人間も必要なんじゃないでしょうか。孤高な賢者は満足した豚(に見える大衆)を見下すことによってその志を磨くし、幸せな愚者は逆に何してんのあいつバカじゃねーのって思いながら満足を深める。その中で、自分はどちらになりたいかの問題だと思います。

2011-02-02 Wed 23:44 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
満足しない状態や理由を理解しており
それを脱しようと努力しつつも上は無くずっと満足できないのと、
満足しない状態が続いている事に不満を感じるのに
行動を起こさず不平を言い続けずっと満足できないのは、
同じ不満足な状態が続いていても全然違うものだと思う。

同じように、何も考えず与えられた状況に満足してるのと
現在に感謝し満足するのは、やはり違うと思う。

意義のある人生かどうかなんて他人が決めるなアホと思うし
かといって、自分で選べない物も色々出てくるわけだろうけど
それでも最後に選ぶのは自分だよね。


2011-02-03 Thu 11:49 URL | A #-[ 内容変更]
満足と不満足は心の在り方だね。
まずは「満足のための不満足」に耐えられるかどうかの。

肝心なのは、自分の選択の責任を取りきれるかじゃないでしょうか。
つまり、期待通りにならなくても愚痴らずに前へ進めるかということ。
(B'zの「FIREBALL」の歌詞より)

2011-02-03 Thu 22:32 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
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