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青年なき国
2011-10-27 Thu 01:52
intothewild.jpg
青年=反抗者=ダメ人間? (映画「Into the Wild」)


日経ビジネスオンラインでコラムニストの小田嶋氏が「青年がいなくなった日本と欧米のデモ」という面白い記事を書いていた。記事は、欧米で頻発している反格差デモがどうして日本では起こらないのかという疑問から始まっている。(正確に言うと数百人規模のデモは起きたようだが、社会的影響度はなかったに等しい。私が昔行ったイラク参戦反対デモには4万人の参加者がいた。)

その理由は、日本が「青年なき国」だからだとしている。ここでいう青年とは、年齢ではなく"人生の意味を模索し、真実を求めて煩悶する存在"、そして"規制の秩序に反発する存在"を意味する。そんな青年の概念は、明治時代に漱石や鴎外みたいな人たちが西洋の文学や哲学を取り入れる時に一緒に導入した舶来品だった。しかし実際にそんな青年になれたのは、いわゆる高等遊民といわれた当時の旧家のお坊ちゃま帝大生ぐらいで、一般庶民に定着することはなかった。

デモ(社会運動)を組織し参加する人間は、社会と正面から対峙していなければならず、かつ社会に飲み込まれていてはいけない。しかし日本の学生や若者は、社会と対峙することを放棄して内向的なモラトリアムの中で暮らすか、さっさとおっさんになる決意を固めて社会に飲み込まれるかのいずれかを選択しなければならず、独立した「個」として社会に反抗する青年にはならない。端的に言うと、子供からそのままおっさんになるのだ。

これがいいことかどうかの判断は簡単ではない。私にはこの記事の指摘する精神構造論が面白かっただけだし、それが今の日本の抱える問題を解決しにくくさせているのだとしても、この方式での集団戦闘力によって(私たちの世代が享受している)繁栄と国際的地位を築き上げてきた人々の功績を否定してはならないからだ。あとは、私たちが後の世代にどんな功績を残せるかである。





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