なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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儀式と意味
2011-12-01 Thu 00:39
今や、外国人(ここでいう外国人とは見た目が非アジア人であることを指していて、外国籍とはイコールではない)の牧師や歌手を雇っているホテルが多い。今まで出席した結婚式で、チャペル式の場合は必ずいた。白人の牧師が流暢な日本語で「汝、健やかなる時も病める時も……」と唱え、黒人のゴスペル歌手が高らかに愛の歌を歌い上げる。

しかし、教会を模した建物の中で、イギリス老紳士風の牧師を立たせて、聖書にある宣誓の言葉を唱えたところで、新郎新婦や参列者は心からこの結婚に際して神の許しを乞うためにこの場にいるわけではない。これらは単なるモチーフであり、イメージである。「こんなのあったらカッコいいね」という程度のことだ。それはきっと牧師さんや歌手もわかっていて、彼らもバイト感覚でそれに利用されるのを良しとしている風である。おそらくこれは日本人の外国の捉え方というものを端的に表していて、(観念的に)外国人は同じ世界には暮らしていない存在だと思っているから、セレモニーなどの特別な場でその異質さを拝借したいだけなのだ。

実は儀式というもの自体が、物事の本来の意義を宙に浮かせる作用を持つ。本質には形式など必要ないからだ。しかし人間は創作性に溢れた生き物なので、あえて儀式自体に別の意味を持たせるやり方を見つけた。これは言葉と共通する。個人の中にある思想や感情は、本来外の世界には出られない。それを介するために作られたのが言葉という道具だが、言葉で言い表された途端に、それは外の世界に出る前の本質とは乖離し始める。しかし他人に何かを伝えるためにはそうするしかないし、やがて本質とは別のところで、言葉だけが独自の意味を持ち始めるのだ。

話を元に戻すが、結婚式を挙げたカップルの方が離婚率が低いらしい。「みんなに祝ってもらったし」という記憶が離婚を思い止まらせるのだとか。これも、儀式として本質とは乖離するにしても、結果的には誓約が制約として機能するのだ。世間体とか常識といったものも、実は人を縛り付けて生活を続行させるという役割があり、それは種の繁栄のためなのだろう。つまり、人間は自分たちで築き上げた社会にあえてその縛りを持たせたわけで、「生き物の行動はすべて最大限の子孫を残すべく仕組まれている」という生物学の大前提に抗えない結論に不本意だが辿り着く。





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