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池田屋異聞
2011-12-14 Wed 22:28
「年末といえば!忠臣蔵ですね~」とテレビが言っていたので思い出した。忠臣蔵とはもちろん、元禄15年(西暦1703年)の赤穂四十七浪士の吉良邸討ち入りをいう。でも実は、大変だったのは討ち入った浪士たちよりも討ち入らなかった浪士たちだ。当時、赤穂藩は300家以上の武士を抱えていた。つまり、差し引きすると250家以上は討ち入らなかったのだ。

司馬遼太郎の『新選組血風録』に収録されている「池田屋異聞」という短編ではこのテーマを扱っている。新撰組監察として活躍した山崎烝(すすむ)は、小さい頃より自分が周囲から冷たい扱いを受けていることに気付いていたが、父が亡くなる時に家系の秘密を知らされる。「我が家は本当は武士なのだ。赤穂藩家臣、奥野将監の子孫だ」と。奥野将監は、大石内蔵助に次ぐ石高をもらっていながら、大石が討ち入りを決めた後に脱盟した。四十七士が討ち入って果てた後、討ち入らなかった旧赤穂藩の武士は「不忠義」「犬畜生にも劣る」と差別を受け、近所からみそやしょうゆさえ売ってもらえなかったという。

そんな折、山崎は人並みならぬ努力によって剣術の皆伝を得るが、ある日道場に大高忠兵衛という具足屋が現れる。討ち入りに参加した赤穂浪士・大高忠雄の子孫と称する彼は人々の尊敬を集め、藩主にさえ滞在を乞われる人物だった。山崎は最初から傲慢な態度の大高が気に入らない。しかし、ひそかに好きだった道場主の娘さえ自分には冷たくして大高に惚れたのを見て、やり切れなくて道場を飛び出す。

それから数年後、新撰組が討幕派の密会を急襲した池田屋事件の夜、新撰組隊士として池田屋に飛び込んだ山崎は、そこで密会していた攘夷浪士の中に大高忠兵衛の姿を見つける。「やはり忠義も知らぬ犬畜生の子だな!」と大高から罵られた山崎は激昂し、「将監さまご覧じろー!」と無我夢中で叫びながら大高を斬り倒す。


と、いうのがあらすじ。すごく印象深い話で、『新選組血風録』の中でも好きな短編ベスト3に入るのだが、実はコレは司馬遼太郎の創作である。山崎烝は別に赤穂家家臣の子孫だったわけではないらしい。がっくり。






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