なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 | ∧top | under∨
言語という道具
2012-01-17 Tue 02:00
今の職場では、通訳・翻訳が業務の大きな部分を占める。中国の地方政府が来訪した時に会社幹部の横について通訳をしたり、それに伴う諸々の書類を翻訳したり、定期刊行物の英訳や中国語訳などだ。これはこれで楽しい時も多いが、またある一面では言葉は道具に過ぎないことを強く実感させられる。つまり、複数の言語が操れることにそれほどの(おそらく外面的に思われているほどの)価値はないのだ。

その証拠に、エラい人には通訳がつく。彼らは自分で外国語ができなくても何ら問題ない。彼らの個人的価値は別のところにあるからだ。大企業のCEO、一国の首脳、国際機関における各国代表になるための能力は他から持って来られないが、通訳はいくらでも代わりがいる。いわば車の運転手と同じだ。アメリカ大統領の専属運転手になろうと、運転という技能(誰でも扱える道具の一つ)を提供しているだけで、その人の個人的価値がその役割を超えることはない。それをちょっとだけ空しく思うことがある。





スポンサーサイト
別窓 | 会社に行くと | コメント:0 | トラックバック:0 | ∧top | under∨
<<値下げ | 紅炉一点雪 | 空の色>>
コメント
∧top | under∨
コメントの投稿
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
∧top | under∨
| 紅炉一点雪 |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。