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美のありか
2012-05-23 Wed 23:59
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Facebookからの再掲載ですが、あの日の朝の金輪日食。
影は避雷針で、“大阪”スカイツリーではありませんw


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榎戸洋司氏の評論文にはこのような文章がある。『洋の東西を問わず、本来“美しさ”とは男女両性があわせもつ性質であった。けれど、装飾の美しさはやがて女性へと“専門化”されていき、同時に自身から装飾の美を剥奪した男性は、美を専門化した女性を“所有”しようとするようになる。この役割の様式化こそが、中世から近代への道である。』

私はかつてジャンニ・ヴェルサーチ氏のエッセイから、“ネクタイを締めた男性は、包み隠した肉体について何も語ってはくれない。こうした肉体と男性の絶縁状態は、社会的な損失(ロス)とさえ言えよう。”という一文を引用したことがある。女性へと専門化されたことで装飾の美を剥奪された男性の大きな喪失感を、ジャンニ・ヴェルサーチ氏は敏感に感じ取ったのに違いない。神は彼に失われた美を感じる感性と、それを具現化する才能を与えたもうた。売り上げ1億ユーロの「VERSACE」ブランドはその賜物だ。

Mixiニュースによれば、最近男子トイレの景色が変わったなぁと感じている人が多いそうだ。朝の時間帯に男子トイレに入ると、若い男が鏡の前で髪をいじったり、左右の顔を確認したりしていて、そんな彼らの姿を見た40代以上のオジサマ方は「さっさと手を洗って仕事をしろよ」と思ってしまうらしい。男性用化粧品の市場も拡大を続け、時代は確実に昭和のスポ根的マッチョ志向から脱却して、男女関係なく「爽やかで清潔で綺麗」な存在を目指すようになった。

装飾の美が女性へと専門化され、それを剥奪された男性が女性を所有するようになったのが中世から近代への道だとしたら、「男だって美しくてあっていいはずだ」と性別による美の役割分別を否定するベクトルに動き出した今は、再び時代の振り子が逆に向かって振り始めたとはいえないだろうか。





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