なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
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懐古趣味
2007-06-22 Fri 02:55
自分は無駄にやたらと懐古的で、とにかく思い出を美化する。今日もし石を拾ったら、10年後にはあれは金の塊だったと思いかねないぐらいだ。

「現在」では常に山ほどの面倒を抱え、自分の感情をコントロールできず、誰かを傷つけ、自分もじたばたしているのに、それが「あの頃」として思い出される時分になると、それが勝手に懐かしいものにすり変わり、まるで現在からの逃避であるかのように、それが美しく思えたりする。

しかし、今度の日本滞在でたくさんのかつての学友たちと会って乾杯をしたり電話で話したりし、それがとても楽しかったのは、思い出を美化しているせいばかりだとは思いたくない。普段遠く離れて暮らしていると忘れそうになるが、こうして再び交わる事があると、誰もが同じ時間を同じように一生懸命生きているのだなと知り、そのつながりがうれしい。いやはや、ありがたいものだ。

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コメント
ゆにんさん、楽しいときを過ごされているようですね。良いお友達もたくさんいらっしゃるようですね。確かに、青春ですね。ゆにんさんは、良い家庭環境の中で、ユーモアに富みながらも、まじめな生き方をされていらっしゃるようなので、きっとこれまでの思い出は、本当に良いものなのでしょう。いくらかの失敗も、成長の糧となっていると思います。

ゆにんさんがお書きになっていることとは主旨が違うと思うのですが、思い出について最近少し考えさせられることがありました。
私の知っているかなり高齢の女性に、とてもわがままに過ごして、子供たちやその家族など多くの人に辛い思いをさせた人がいます。その人が最近私に「人生を振り返ってみると、私は恵まれていたと思うのよね。その時々でいろいろあって、けんかもいっぱいしたけど、それも本当にいい思い出だと思うわ」とおっしゃいました。複雑でしたが、そんな幸せもあるのかと思いました。
それでいいのか悪いのか、私には裁く権利はありません。
 ただ、自己満足の幸せではなく、本当に豊かな幸せを先の人生で味わいたいなら、自分自身の人生や他の人の人生に対する敬意を払って、暖かな感情と共に大切に時を過ごして行くのが良いと思いました。
 自分自身が本当に良い成長を遂げたなら、価値観は上がっていくので、悪い思い出(道徳的にとても悪いことなどについていっているのですが)はそのまま残り、良いもの変化することはないからです。もちろん、他の人に対する気遣いや暖かな感情や思いやりという点で成長しなければ、たとえ人をひどく傷つけるような悪い思い出があっても、反省もなく、悲しみや後悔もなく、『幸せだった』とのんきに言っているかもしれません。人間としては悲しい幸せだと私は思います。
 ゆにんさんの思い出意識とは、ちょっと路線がずれたかもしれませんが、思い出について最近感じたことを書かせていただきました。


 いずれにしても、ゆにんさんには、良い成長を遂げた未来が待っていると思います。その時に開く思い出のカプセルを、正装した『時』の管理人が恭しく両手で差し出してくれるような、気高い生き方を続けていかれますように。
 
2007-06-22 Fri 21:54 URL | mega #JalddpaA[ 内容変更]
megaさんへ

megaさんの書き込みを読んで、自分ももしかしたら同じ過ちを犯しているかもしれないとふと不安になりました。私が楽しかったと思っている事が、その時にいた他者にとっても楽しかったものかどうか、自分の注意が十分だったかどうか…。

確かに、本人が幸せだと思うのはいい事ですが、それが他人の辛い思いの上に成り立っているものだとしたら、見ている者はそれは本当の幸せじゃないと言いたくもなります。でもこの根本的には主観しか有り得ない世界で、本人が幸せに思っているという事を、本人に対して否定できる他者はいません。

幸せとは、Aが幸せになるためにはBが不幸せにならざるを得ない仕組みなのでしょうか。それとも、両者が同時に幸せになる道があるのでしょうか。きっと、両方のケースがあるのだと思います。

2007-06-23 Sat 00:31 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
 若い時代のあれこれは、多くの場合、お互い様的なところがあって、よほどのことがない限り、たいていは許される範疇だとおもいます。 ゆにんさんは、軽率ではありませんし、原則的に物事を考えられる人なので、失敗は少ないのではないかと思います。

 原則と規則の違いについて考えられたことがありますか?
規則で考える人と原則で考える人がいます。
たとえば、電車の優先席のことを考えてみてください。以前そのような席は設けられていませんでした。なぜですか? それは、そのような規則を作らなくても、年配の人や、妊娠している人が大変であることを誰でも知っていたということと、人間が皆幸福に暮らすためには、自己犠牲的な精神が必要であり、それを示すときに、損をするのではなく、心地よいと言う原則を、誰でも知っていたからです。よい道徳観がありました。別の言い方をすると、愛がありました。
 ゴミを捨てるのはやめましょう。道につばを吐かないでください。などというルールがさまざまなところで見かけられます。一見無害に見えますが、ある意味で人々から尊厳を奪っていることに気が付かれますか? 
もし『ゆにんさん、ここにお財布置いておくけど、取らないでね』と言われたら、ひどくがっかりするでしょう? 「あなたは悪いことをしそうだ」とか「あなたは親切にしないかもしれないので、注意しておくけれど」といわれ続ける人が、向上心を持って品性を高めていくことが難しいように、罪悪感をかきたてられる人々はますます堕落し、最近では、優先席でも席を譲らない人が増えてきたと思います。
律法は、確かに必要です。 でも、道徳観まで、規則で統制されてしまうと、それはもう道徳観や愛ではなく、単なる規則ですから、人々の心や思いから愛や喜びや達成感がなくなり、一致もなくなります。そして、それが確立されてしまうと、人間愛を再び学ぶのは難しくなります。それを教える人が少なくなるからです。私はそのように考えます。

物事を規則で考え、規則で縛るやり方ではなく、原則で考え、他の人に対する優しい気遣いや、自分の心の良い動機に喜ぶ気持ちを持つなら、憎しみや競争心やねたみなどから生じる多くの問題を経験しなくてもすむはずですね。そして原則で物事を考える人は、人の心を築き上げる方法も習得していくはずですから、周りは幸福に向上していくと思います。

他の人を苦しめて幸福になると言うのは、間違いだと思います。
ただし、どちらも幸福になるためには、原則を固守しなければなりません。それは簡単なことではありません。なぜなら、信頼できる人になることや、他の人のものを奪ったり欲したりせず、 他の人と競争して勝った自分を喜ぶのではなく人間としてのよい性質を向上させ、それが味わうよい事柄で満ち足りることができる心を養うことなどは、今の社会が評価しないものです。それでも、毅然としてそのような生き方を選ぶ人もいますね。尊敬すべき人たちだと思います。そういう人たちは、そのような心の状態のゆえに、いつも幸福だと思います。
 
 ゆにんさんは、これらのことをひとつの意見として理解されることと思います。ただ、根本的に主観しかありえない社会であると考えておられるようですから、単なる理想論にしか思えないかもしれないとも考えています。よろしければ、ご意見をお聞かせください。参考にしたいと思いますので。
2007-07-03 Tue 15:21 URL | mega #JalddpaA[ 内容変更]
megaさんへ
ご無沙汰してすみません。

私は本来、非常な理想主義者だと思います。megaさんが仰った事は、たとえ理想でもそれを原則として守らねばならない、むしろ人間なら守れよぐらいに思っている自分がいます。その半面で、どうせ人間は主観でしか世界を見ることのできない利己的な存在だと考える皮肉主義者な自分もいます。それは多分、理想と遠い現状を見て、自分でそう折り合いをつけているのだと思います。

例えば、この社会のどこにでも存在する競争や駆け引きは、人をただ善良に単純に生きられないように強いています。まさに正直者が馬鹿を見るという言葉の通りです。本当は自分の信じる生き方を固持したいけれど、その結果として社会的に認められないというのも嫌だと思う時、人は自分に言い訳をして変節せざるを得ない。

周りに認められた時の満足を選ぶか、たとえそれを捨ててでも自分への満足を選ぶかと言われたら、これは難しい。そして、多くの場合、周りに認められることが自尊心やプライドを高め、自分への満足にもなるので、絶対多数の人間はそちらを選びます。自分の生きる世界の流れに逆らうというのはとても大変なことだと誰もがどこかで学ぶので、それが更なる流れを作るのでしょう。

「~~しましょう」という標語が実は道徳の低下を示し、また招いているというのは、なるほどと思いました。あちこちに「人を殺してはいけません」と書いた看板が立っているのを想像して、うーんと唸ってしまいました。私が横浜の入国管理局で「外国人の不法就労防止にご協力を」と書かれたポスターを見てひどく不快感を覚えたのは、きっと同じことだと思います。尊厳の問題は、絶え間なく在り続けています。歴史とは、尊厳を守るための闘争で構成されているようなものですからね。

理想を持つことは希望を持つことに等しいのだから、大いに持つべきです。かつ現実との落差に耐え、それでもなおより良いものを目指して行動する精神力があれば、世界を変えていけるでしょう。



2007-07-07 Sat 00:39 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
ゆにんさん、お返事ありがとう。
あなたの思考力と心(性質)にうっとりしました。本当に22歳? ご両親はあなたを幼いときから、推論できるように、考えさせながら育ててこられたに違いありません。子育てで一番しなければならないことは、配偶者を愛すること、そして、子どもが推論するように教えることであると学びました。ゆにんさんのニューロンは使いこなされて、しなやかで伸びやかですね。お財布取らないで・・が、「人を殺すな」の標語に発展し、自分の経験を走査し、何らかの素直な結論を導き出す・・・。反抗的な思想や感情などにはまったく邪魔されずに、そうなさっているのです。思考パターンが知的できれいで、ぞくぞくしました。
そのような良い推論は、規則の背後にある精神を汲み取り、適用することができます。つまり、そういう人は、優先席でなくても、お年寄りや妊婦だけでなく、ひどく疲れているように見える若い人にも席を譲るでしょうね。そういう人は社会の良い資産です。ですから、推論すること、深く熟考できること、そして正義感を植えつけられたゆにんさんは、本当によい遺産をその性質に受けておられることになりますね。ご両親に感謝なさると良いですね。私もさわやかにされられましたから、ゆにんさんに感謝します。ありがとう。
さて、ほかにも感動したことがあります。でも、それはまたあとで書かせてください。時間がないので。

(一度送信したのですが、反映されなかったので再度送信します。重複したらごめんなさい。)
2007-07-11 Wed 16:28 URL | mega #JalddpaA[ 内容変更]
megaさんへ
そんなにほめられたら、本当になんて返していいか分かりませんよ。
自分でそう思ったことはあまりないので…。

考えることはとても大事だと思っていますが、考えるだけじゃ始まらないことも多いです。それに、一つの価値観にすべてを置いてしまうのは危ういことです。例えば私が思慮深くあることに非常な重きを置いているとします。しかし身近にそれとは正反対の人間がいて、自分の価値観からすればその人間は「最低」なのに、その人間の方が自分よりも周囲の賛同や理解などのいわゆる「成功」を手に入れているのを見たら、その状況が許せなくて、平静さを失い極端な反応をしたりする恐れがある。実際にそういう経験がありました。だからその頑固さを反省し、老子の「何ものにも捉われず、天と地の間に遊ぶ」自由さを目指しているといった感じです。何かに拘り捉われるぐらいなら、いっそそれを捨ててしまった方がいいかも知れない。捨てることこそ難しいのですけれど。

2007-07-11 Wed 23:51 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
 いいえ、本当に心からほめたくなる人です。

 他の人の生き方が参考になることもあるかもしれませんが、確かに平安が失われることもありますね。他の人と比べてではなく、ただ自分自身に対して歓喜する理由をもつために、自分自身の願いや傾向をじっくり自己分析(自己吟味)することは役に立つと思います。等身大の自分を知って、着実に進歩させることができたら、自分自身に満足できるようになると思います。そうなった自分は、多分他の人と比べて優越感を抱いたり、がっかりしたりいらいらしたりしなくなると思います。

少し関連があるかと思いますが、 昨日の続きを・・・

この社会のどこにでも存在する競争や駆け引きは、人をただ善良に単純に生きられないように強いていると書かれているのを読んで、『良くぞ見抜かれましたね!』と思いました。正義の目で見ると確かに、人間味のある良いことをさせなくしたり、無価値なものと思わせるような強い圧力が見えてきますね。地球を愛において不毛の大地にしようとしている、強い潮流のようなものを私も感じています。
逆に正義の目を閉じて社会をみると、そこにはチャンスがあふれている場所となるでしょう。 そのチャンスをつかもうとして、多くの人は野心に燃え、家族や正義感や正直さなどを捨ててしまいました。
 世界が成功とする基準は、主に経済的な成功や名声を得ることが主流かと思いますが、それには多くの時間を投資しなければならず、睡眠は奪われ、 家族との団欒は犠牲にされます。

 ところが実際には、人間はそういう成功で心からの幸せを味わうようにはなっておらず、 むしろ犠牲にしたものの中に暖かな幸福があるのです。
ですから、いわゆる成功者といわれる人達がプライドに邪魔されずに、本音を正直に語るなら、意外なことをたくさん聞けると私は思っています。
『絶対に成功しないほうがいいよ。』と言うのではないかと。

幸福な家庭を築き維持する秘訣や、 他の人と仲良くやっていく秘訣、愛する人と自分自身を養うために誠実に働くこと、健全な娯楽でリフレッシュする方法、試練にあっても自尊心を保ち忍耐する方法、貪欲にならずにこの地球という美しい住まいにある資源を感謝して使うことや、満足する秘訣を学び取ることの価値を理解するなら、人の人生はもっと危険の少ない、時間的に豊かでゆとりがあり、心地よいものになるでしょうにといつも思っています。時間はかかるかもしれませんが、それらは知的な向上や適度に快適な生活を奪うものではなく、むしろ長い目で見たときには、本当に豊かな暮らしになるとおもいます。
それを理解させる教育こそ、緊急に私たちに必要なものだと思っています。
2007-07-12 Thu 14:15 URL | mega #JalddpaA[ 内容変更]
megaさんへ

愛において不毛な大地、ですか。面白い言い方ですね。

中国語の成語で、「人から羨ましがられるような人間は、周囲の見えない所でその分の苦労や苦悩を持っている」というような意味の言葉があります。きっとそれは真実でしょう。しかしそうは言われても、そして成功者から例え「成功するな」と言われたとしても、それでも人々はそれを目指すことをやめないと思います。普通の場所から見上げる限り、成功者の手に入れたものはやはり魅力的だからです。これは、実際にその場所に立ってみないと、その本当の酸いも甘いも分からないのだと思います。

いわゆる社会的成功を手に入れながら、その過程自体を楽しむことのできる幸運な人もいます。また、事業のために家庭を持たないことを選択したとしても、本人が納得した上でそれを選んだのなら、その人を不幸だと言うのは間違っていると思います。生きている間は、誰もが色々な選択をし続けなければならないのですから。

世界の潮流というものは確かにあると思いますが、それに乗るかどうかは各々が自分で選ぶことだと思います。思い通りにならない世の中だとよく言いますが、すべては自分の選択の結果であるという意味では、思い通りの世界だとも言えます。ただ、選択の結果が期待通りではないというだけです。

今の潮流は、たくさんの人がそれを選んだ結果です。もし本当に人々が今の潮流が人を不幸にしていると感じているならば、新しい選択をする人々の増加によってまた新しい潮流が作られるでしょう。だから、そんなに憂慮することもないと思います。周りが何と言おうとも、本人が己の体験に基づいて考え方を変えなければ、その人の行動は変わりません。自分が考え至ったことは、自分の人生の選択をする上での材料になりますが、それを世界の人に知らせねばと焦る必要はないと思います。「私」は、私の全人格に対して、かつ私という個人に対してのみ、決定権を持つのです。

2007-07-16 Mon 12:42 URL | ゆにん #F0Z38fwo[ 内容変更]
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