紅炉一点雪
なぜ書くのか。それは、人に言葉があり、私に心があるから。
シルクステビア
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Author:Ning Ning
中国北部に6年、日本関東に14年、アメリカ西部に4年、現在日本関西に住む25歳社会人。

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しょうゆ買いすぎた

しょうゆがなくなった。

さっそくスーパーに行き、しょうゆコーナーの前に立つと、
なんだか強烈なデジャブ感があった。
しかし、家を出る前に探したけれどしょうゆはなかった。
デジャブ感を振り切って、1リットル入りのしょうゆを買う。

家に帰った。
「…ん?」
米の袋の後ろに、未開封のしょうゆのびんが。
あ…しょうゆがなくなる少し前に買ったんだった…。

どうしよう、1年近くかかって使い切った1リットル入りのしょうゆが2本もある。
今、「しょうゆ 活用法」でネットを検索中である。







穂高岳


ついに、3000メートルを突破!!


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10月11日 北穂高岳頂上にて。(後ろのとがっているのは槍ヶ岳)

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北穂高の南稜登山道。近くも遠くもギザギザしている。

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涸沢カールのキャンプ場。なんと雪が降って、マジで寒かった。

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奥穂高のモルゲンローテ(朝焼け)。朝5時、気温はかるく零点下。

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西穂高ののこぎり歯のような山並み。6つの頂がある。(1、2、3、456)

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帰りに離れたところから見た涸沢カール。赤い屋根の涸沢小屋。
下の白い所がキャンプ場、左が西穂高、真中が奥穂高、右が北穂高。


私が行った三連休は、紅葉シーズンのピークだった。

雪の中のテント泊か、一枚の布団に3人で寝る山小屋泊か。
前者は、コップの底の水がみるみる凍りだす気温の中。
後者は、トイレに起きると寝る場所がなくなっている状況。

山は、どっちにしてもEXTREMEである。






『塗仏の宴』 追記

 「例えば家族を守って何の意味がある。国を守ることに意味がないのと同じだけそれは無意味ではないか。法を守ることに何の根拠がある。迷信を信じるのとどう違うというのだ。個性を主張し、性差を主張し、立場を主張し、そんな主張だらけの醜い世の中に何の救いがあるのだ。格差をなくせ段差をなくせと叫んで、概念の化け物のようになって生きることにどんな得があるというのだ」

 「それでは伺いましょう。意味があることにどんな意味があるのです?得があることや、救いがあることや、根拠のあることは、損をすることや救われないことや無根拠なことより勝っているというのですか?そんなことはないでしょう。だからあなたに兎や角云われる筋合いはない。

どんなものもどんな状態も、この世にある限り、この世に起きている限り――それは日常です。この世には――不思議なことなど何もないのです」



京極さんの本を読むのは、壮大な概念世界への旅である。
あの厚い本は言葉と理による巨大な構築物だ。
あとは、そこに美を見出すかどうか…。






『塗仏の宴』 読了
京極夏彦著 『塗仏の宴』(宴の支度/宴の始末)を読み終わった。いつもは文庫版なのだが、これは本文が上下二段書きの講談社ノベルズ版で読んだ。シリーズ最長作。

これが京極堂シリーズのシメかと思えるほど、今までの作品の登場人物たちがどんどん出てくる。内藤、美馬坂博士、増岡弁護士、朱美、織作茜、羽田隆三、岩川真司。台詞で触れられるだけの人から、一章の語り口になる人、果ては事件の主役になる人から事件を解決させる人まで。あのぐだぐだだった内藤が、最後にはかっこいい台詞を残す。

対して、新登場したのは妖怪研究仲間の多々良勝五郎、そしてすべての黒幕・堂島大佐。この堂島大佐がすごい。京極堂の軍隊時代の上司らしいのだが、「中禅寺――貴様が離れたことは返す返すも残念に思う。どうだ。今からでも私の許に戻らぬか」となんとも京極堂に執着の様子。

晴明桔梗の五芒星を白く染め抜いた黒い羽織に、赤い鼻緒の黒下駄という出で立ちの京極堂に対抗して、六芒星(いわゆるダビデの星)のついた羽織に白い着物という堂島大佐。きわめつけには、「この世には不思議なことしかない」と京極堂の有名な決め台詞をそのまま裏に返した台詞を言うあたり、彼の京極堂へのラブコールには拍手を送りたくなる。

『塗仏の宴』が出た後、しばらく次回作が出なくて、まさか本当に京極堂シリーズが!?とも言われたが、しばらくしてから『陰摩羅鬼の瑕』と『邪魅の雫』が出ているので、めでたしである。








Happiness

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Happiness is a firecracker sitting on my headboard
Happiness was never mine to hold
Careful child, light the fuse and get away
‘Cause happiness throws a shower of sparks

幸せは自分の額にのせられた花火のようなもの
それを手に取ることなんてできない
ほら気をつけて、火をつけたらすぐに離れるんだ
幸せから噴き出した火の粉が降りかかるから


Happiness damn near destroys you
Breaks your faith to pieces on the floor
So you tell yourself, that’s probably enough for now
Happiness has a violent roar

幸せはあなたを壊しつくすところだったんだ
それはあなたの信じていたものを粉々に砕いた
だからもう、今はきっとこのままでいいんだろう
幸せは荒々しい咆哮をあげた


Happiness is like the old man told me
Look for it, but you’ll never find it all
But let it go, live your life and leave it
Then one day, wake up and she’ll be home
Home, home, home

かつてある老人に言われたように
幸せを探してもそれはやってこない
ただ放っておくこと、ただ人生を生きること
そうすればある日、彼女は帰ってきてくれるだろう
この家に


『Happiness』 The Fray








言葉と世界

人がこの世界に存在する(生きる)ことで、一次的にまず得るものは経験である。暑い寒い、固い柔らかいなどの物理的な感覚であり、それは頭で考える前にただ流れ込んでくる。そこまでが「自分の世界」だ。

「自分の世界」の範疇を超えようとすれば、つまり自分以外の他者にその中身を伝えようとするならば、言葉が必要になる。言葉を使って、それをまったく経験したことがないかもしれない他者にその経験的な感覚を説明するという、「自分の世界」の中だけであれば必要のなかった行為に挑むのだ。自分の経験を他者により正確に伝えようとして言語が発達し、意思の疎通によって人は先人たちの積み重ねてきた経験という巨人の肩に立って、遥か遠くまで見渡せる能力を手に入れた。

しかし残念ながら、言葉は完全ではない。言葉が造り上げる非経験的な観念は、物理的な感覚によって築かれた経験を、一片ももらさずにすくい上げて外の世界に持ち出すことはできないのだ。言葉にされた時点で、「自分の世界」という海を自由に泳いでいた”経験”という名のシーラカンスは、釣り上げられて「外の世界」という地上の博物館に飾られる剥製と化す。それは確かにシーラカンスだったものだが、深海を悠然と泳いでいた頃の姿とは似ても似つかない。

自分の中にある経験は、(その中に留まる限りは)言葉にする必要もなければ、そもそも言葉にしようとしても決して完全には言葉にならない。言葉にした瞬間にその本質は失われてしまうが、言葉を使わずには外の世界と交わることができないというジレンマに人は立たされている。だから、この世界は常に不完全なのである。











熊野の海
世界遺産の熊野古道で知られる熊野へ遊びに行った。
江戸時代、「伊勢に七度、熊野に三度」と言われた熊野詣で。
紀伊半島を南下して、和歌山県へ足を伸ばした。


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獅子岩のある七里御浜。久し振りに波の音を聞いた。


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ここのビーチはなんと丸い石。砂礫海岸というらしい。


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トイレのタンクの上に置こうと拾った石。

ここで一句。
波打ち際から拾った時は、濡れてきれいに光っていた石だったが…。
『思い出石 乾いてみると ただの石』


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熊野大社本宮・第三殿。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。

紀伊半島はまさしく、『古事記』の世界が息づく神々の古里であった。







句作
シルバーウィークは八ヶ岳連峰に行ってきた。

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硫黄岳〜横岳から赤岳を望む


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富士山!!


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八ヶ岳主峰・赤岳 2899m



北海道旅行の時、メンバーの一人が見えているのになかなかたどり着けない終点の駐車場を見ながら、こんな句を作った。『十勝岳 近くて遠い 駐車場』 それにちょっと触発されて、句作をしてみたり。

『秋の風 稲穂を渡る 月夜かな』 
(亀山のマンションから見える田んぼの風景より)

『牧場に いるのはただただ 人ばかり』
(ソフトクリームが人気な牧場には動物の代わりに人・人・人)

『バイバイを 言えずに窓の 外を見る』
(うまくさよならを言えないまま別れて憮然と車窓の外を見やる)


好きな俳人は種田山頭火。それって自由律じゃん。








寸評

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『幻月楼奇譚2』 今市子
今さんの本は作者買い。どれも面白い。

「殺したいほどは愛してないってのは、愛しているから殺せないって事だろう。めんどくさい…」
「あたしにはわかりませんよ。楽しく暮らして何がいけないんですかね」



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『not simple』 オノナツメ
圧倒的な物語。この作者にハマるきっかけとなる。

「”家族”を求めていない俺の方に、それは来て、それを求めてきたあいつは、今どうしているのか…」



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『ソラニン』 浅野いにお
会社に入ったばかりの頃に読んで、ものすごく共感して揺さぶられた。
内容があまりにタイムリーだった。今でも心に残っている作品。

「これでいいんだ」
「本当に?」
「いいんだ」
「…本当に?」
「(無言の絶叫)」




ところで、明後日から2泊3日で長野県・八ヶ岳に行って来ます。
北海道以来、川遊びばかりで山登りに行っていなかったので、体力としばらく使っていなった装備にちょっと不安…。リーダーに言われて上長(課長)に登山届を提出したものの、提出された課長がきょとんとしていた。









レガッタ参戦

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会社で卓球部に入っているのだが、この卓球部には色々と課外活動がある。年明けには三重県の鳥羽へ”焼カキ食べ放題”に行き(1時間で好きなだけ焼カキを食べられる。ただし自分で殻を剥かないといけない。少しでも多く食べるために、あらゆる調味料を買い揃えて行った。最高記録は一人で124個)、夏には大台原にある宮川をせき止めたダム湖の奥伊勢湖で開催されるレガッタレースに参加した。


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全員まったくの初心者で、去年の夏にやった唯一の練習の時に初めてレガッタの艇(ふね)というものを見た。非常に長細くて、先端は剣のように鋭い。まさにスピードを出すためのフネといった感じだった。上の写真で一番右側に座っているのがコックスと呼ばれるかじ取り役で、後ろの四人が漕ぎ手である。(帽子をかぶっている一番手が私。)それぞれ片側一本のオールを持ち、左右二本ずつのオールで漕ぐ。


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そんな超初心者、練習は一年前の一回のみという私たちが、なんと準決勝まで進む。一回漕げればいいやと思っていたのに、三回もレースに出た。準決勝では上位二位が決勝に進めることになっていて、私たちは前半二位をキープしていたのだが、後半でスタミナ切れして追い抜かされてしまった。写真は一艇身の差をつけられて三位でゴールラインを通る様子(右側の艇)。「まぁ、俺たち卓球部はスタミナじゃなくて瞬発力だからな」とメンバーが負け惜しみを言った。


そんな、水面の上を風を切りながら、漕いで漕ぎまくった日曜日。